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   <title>THE OFFICIAL WEBSITE OF KYOKO IWAKI</title>
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   <subtitle>ジャーナリスト岩城京子の公式ホームページ</subtitle>
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   <summary>More Articles on Webmagazine http://kyok...</summary>
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      <![CDATA[<strong>More Articles on Webmagazine
<a href="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/">http://kyokoiwaki.com/ARTicle/</a></strong>]]>
      
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   <title>2010.3.8</title>
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   <published>2010-03-07T18:38:31Z</published>
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   <title>愉快なロンドン観察記</title>
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   <published>2010-03-07T18:18:39Z</published>
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   <summary>タイラゲテヤロカ。機内で隣の中年女性が実にとうとつに話しかけてきた。タイラゲテヤ...</summary>
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      タイラゲテヤロカ。機内で隣の中年女性が実にとうとつに話しかけてきた。タイラゲテヤロカ。タイラゲテヤロカ。まるでラマやアルパカを放し飼いにして生計をたてる(ことをしていそうな)、遙かアンデス地方の古代の呪文をつぶやくかのように、彼女はゆるやかな笑みを目にうかべて同じ言葉を魔術的につづける。タイラゲテヤロカ、タイラゲテヤロカ。半月状に歪む彼女の目が、私のまえにいすわる食べ残しのトレーにそそがれていることに気づき、ようやく呪文が解読される。
「たいらげて、やろうか」
どこぞで覚えたその日本語を、彼女は、病にぐずる我が子に聴かす母親の子守歌のようにやわらかにくりかえしてくる。たいらげてやろかあ。ただ「はい」と答えれば赤の他人に残飯処理を頼むことになるし、「いいえ」と答えれば彼女のまったく邪気のない親切心をふみにじることになる。風貌から察するに、彼女はどこか南米系の土地の人だろう。もしかすると彼女の故郷では、残りものは災いのもと、みたいな教えがあるのかもしれない。でもここは近代的なエールフランスの機内なのだ。私は「はい」とも「いいえ」とも口にすることができずに混乱の極みで言葉を失っていた。

と、その女性は一瞬の沈黙ののち「ヨカ」と一言つぶやいたかと思うと、素手でわたしの前にあるアルミニウム皿をひっつかみ、吉野屋の牛丼をかっくらうかのごとく残飯を一気にたいらげた。そして吸引作業が終了すると「オイシネ」と優雅に微笑み、中世の宮廷婦人にでも給仕するかのように丁寧に皿をかえしてきた。あまりのことに、私は言葉を失いつづけている。やはり「ありがとう」と答えるのも「すみません」と答えるのも、なにか間違っているように思える。こんな非常事態、ならず異常事態に、返すべき道徳的回答を私は今までの人生で培ってきてはいないのだ。

長い十三時間のフライトを終えて、ようやくロンドンに到着。翌日オペラハウスに向かい仕事の用向きのバレエを観劇する。ときおり襲来する時差ぼけの睡魔と格闘しながらも三幕物のゴージャスな舞を堪能し、夜11時、賑わいを見せるピカデリー・サーカスから地下鉄に乗りこむ。週末金曜日の夜だ。車内の扉近くには、これから踊りにくりだそうという服装のティーネージャーの集団がむらがっていた。外は霜の降りそうな零下の気温だというのに、女の子たちはタンクトップにミニスカート。しかも素足だ。またどうおおめにみても「美」の基準値をはるかに超えて「歌舞伎」の域に入りつつある極彩色の厚化粧が夜の蛍光灯に浮いている。薄着に浮かれた彼女たちを横目を、上から下まで黒づくめでむくむくのダウン姿の私は、紛々たる白粉の香りをくぐり抜けて空いたシートに腰掛ける。ふう、とようやく一息。だがふと前席をみあげると、そこにまたじつに「ロンドン、夜、金曜日」な酔っぱらいが座っていた。

アーミージャケットに黄土色に変色しかかったブルージーンズ。80キロはくだらないだぶついた巨漢で、水揚げされたばかりのワカメのような髪の下で、夏祭りの屋台で売られるアンパンマン風船のように顔を赤くふくらませている。両膝のあいだには、２リットル大の水のペットボトル。うつらうつらと半睡状態の意識の波間をただよう彼は、たまにウプッと口をすぼめなにかを吐き出しそうになり、私も含め半径１メートル四方の人間を一瞬おびやかしたかと思うと、２秒だけ真顔に覚醒してボトルの水をごくりと飲む。見れば、額にはまるで蛭に血を吸われかたようなマヌケな跡が。こくりこくりと前に垂れつづける頭を自力で支えることができない彼はどうやら、ときおりその栓の開いた手持ちのペットボトルの口を額にあてがい、暫定的な安定ポジションを保っているらしい。こくりこくり、うぷっ、水をぐびり、おでこで栓。そのくりかえし。いつ目の前でその男が逆噴射するかもしれない恐怖におびえながらも、あまりにおもしろすぎるルーティーンから目を離すことができない。こいつ失恋したのかな、いやいやこの風貌で恋人なんてありえねぇよ、だな、と隣の男子学生二人組がこの酔っぱらいをネタにひとしきりもりあがっている。その会話には「俺らのほうが、何倍かいけてる」という男子特有の優越感がまざる。でも、そいつらもしたたか酔っているうえに女っ気がまわりにないわけだし。たまに、ちらちらと例の薄着の女の子たちに意味ありげな視線を送っていた。

さて、いまはイースト・ロンドンのカフェに座りながらこの文章を書いている。隣のラブラブカップルは、なにかの手違いで息継ぎができなくなってしまい窒息死寸前の曲芸人のように、喘ぎ、もだえ、長時間キスをつづけている。なにかの極限パフォーマンスなんだろうかーー。しかしまあ異国に来ると、ただごとでない人間によくでくわす。べつに蝋人形館などに金を払って赴かなくとも、おもしろい見世物はいっぱいある。

(March 8, 2010)
      
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   <title>2010.3.4</title>
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   <published>2010-03-04T07:11:56Z</published>
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   <title>心の垢すり、再び海外へ</title>
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   <published>2010-03-04T06:53:45Z</published>
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   <summary>ここ二ヶ月ほど働きづめに働き、心がぺしゃんこにしぼんだ餅のようになったので、少し...</summary>
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      ここ二ヶ月ほど働きづめに働き、心がぺしゃんこにしぼんだ餅のようになったので、少し息抜きもかねて旅に出ます。もちろん旅先でも仕事はもりだくさんですが、環境が変わるだけで、おもしろいほど心はふくらむ。いうなればオートマティック・モードに入っていた自分の思考回路が、外国に行くことでいちどマニュアルに切り替えられるため、行動にたいして自覚的になり気づきや喜びが増えるのです。実際、スーパーで牛乳を買うことも、駅の窓口で外国語に手こずることも、慣れない町をさまようことも、脳にこびりついた「垢」のようなものを落としてくれる浄化作用がある。そして、その垢すり作業が進むとともに、脳の処理速度もあがっていく。それはパソコンに古くて余分なデータが溜まっていると、処理速度が遅くなるのと同じこと。先日Macbook Airを購入し、ぎりぎり必要最低限のデータだけを移行する作業を終えたところなのですが、わたしの脳みそも同じように、必要最低限のデータだけを見極めて無駄なく蓄積していきたい。旅のおともにもっていく本は、須賀敦子と村上春樹とロア・シーガル。美しい町で美しい活字を読んで、心の垢を落としてこよう。

(March 4, 2010)
      
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   <title>2010.2.27</title>
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   <title>英国Twitter世代演劇</title>
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   <published>2010-02-27T03:37:34Z</published>
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   <summary>夕食後、肘掛椅子に腰かけゆったり何時間も本を読む。そんな時代はいまや昔。現代では...</summary>
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      <![CDATA[夕食後、肘掛椅子に腰かけゆったり何時間も本を読む。そんな時代はいまや昔。現代では夕食後、あるいは夕食と平行して、パソコンやケータイでＳＮＳを楽しんだりネットサーフィンに興じる人のほうが多いだろう。テクノロジーの変化に応じて、生活形態や娯楽は変化する。それはあたりまえの話だ。だからたまに半日がかりの歌舞伎や、六時間のシェイクスピアなんてものを観に行くと、自分が旧石器時代にタイムスリップしたかのような感覚をおぼえる。しかもその芝居がいけてるならまだしも、あくびを噛み殺さねばならぬほど退屈だった日にゃ、もう開演後十分で、多動性障害の子どものように落ち着きがなくなる。正直じっと我慢して、どこぞの人が作りあげたものに大人しく何時間も堪えることは、Ｔｗｉｔｔｅｒ、Ｆａｃｅｂｏｏｋ世代の人間にはかなりしんどい。おもしろくなきゃ他のことをしたいもの、さらにいえば自分でおもしろいことに参加したいもの。ねぇ、そんな「辛抱弱い」現代人でも楽しめる芝居はないの？

そんな問題意識というか不満意識を抱えて世界を飛び回っていたら、イギリスで、まさにＴｗｉｔｔｅｒ世代にうってつけのインタラクティブ演劇が流行っているという情報を耳にした。いやいや、それは果たして「演劇」と呼んでいいものなのか。なにせ役者がいっさい稽古をしない演劇や、客が役者をやらされる演劇、あるいは客の足をただ入念にマッサージするだけの「マン・ツー・マン演劇」なんてものまであるのだ。ＣＯＮＥＹという演劇グループなどは、自設サイトで＜アドベンチャー・ロト＞(<a href="http://www.takemeonanadventure.net. ">www.takemeonanadventure.net. </a>)なるプロジェクトを立ちあげ、ロトの当選者に、彼らの趣味や夢にもとづいてオーダーメイドされたアドベンチャー旅行を太っ腹にプレゼントしているという。要するに彼らへんてこイギリス人たちは、演劇というメディアを、もっとずっとパーソナルに参加できる体験に変化させつつあるようだ。

ちなみにきたる３月には、これら「Ｔｗｅｉｔｔｅｒ世代演劇」のうち二演目が初来日。都内でパフォーマンスを行う。ひとつは英国人俊英アーティスト、ダンカン・スピークマンによるＳｕｂｔｌｅｍｏｂ（サトルモブ）というイベント。これは街頭演劇と、ライブインスタレーションと、音楽鑑賞と、あと、なんの変哲もないただの散歩をすべていっしょくたくにしたような作品。いっとき欧米を中心に”フラッシュモブ”という名のゲリライベント（ＳＮＳサイトの呼びかけで集まった人々が街頭でいきなり枕投げ大会をはじめたり、下着姿で電車を占拠したりする）が流行っていたが、それの「Subtle＝控えめ」版だと思ってほしい。つまり観客は、奥ゆかしくも控えめなかたちで、街を占拠していくことになる。客は事前に指定されたＭＰ３ファイルをダウンロードしておき、その楽曲を当日指定された場所で再生。と、そこからは音楽と物語と行動指事が流れはじめ、その指事に従って30分、町を散策することになる。ＭＰ３ファイルには２種類用意されているため、観客はおのずと半々にわけられ、ときに観客になりときに演者になる(恥ずかしいことは何もやらされないので大丈夫)。でもそれはあまりにも控えめな演技なため、果たしてその人が参加者なのか、ただの街ゆく人なのか最後までわからない。ただ実感できるのは、街がいつもより少し「愉快な場所」に見えてくるということだ。

もうひとつは、Stoke Newington International Airport（ストーク・ニューイントン・インターナショナル・エアポート)によるかなり奇抜なパフォーマンス演劇。その名も「Live Art Speed Date(ライブアート・スピードデート)」という題名のとおり、彼らは一夜の合コンイベントをアートにしたててみせる。合コンの参加者は、もちろん私たち好奇心旺盛な観客。恋のお相手は個性的な20名のアーティストたち。彼らが、ときに個室で、ときにテーブル越しに、ときに部屋の暗い片隅で、本気なのかセリフなのかわからぬ言葉であなたを熱心に口説いてくる。もちろんその演技者と現実の恋に発展することはない（と思う）けれど、ここでは参加者同士の交流イベントもいくつか仕掛けられているため、そこで未来のお相手に出逢うこともあるかもしれない。

なかなか言葉でそのおもしろさを説明することが難しい、英国初インタラクティブ演劇。ぜひ参加したいという方は、以下のサイトまでどうぞ。今日はいつになく本業に近い内容のブログでした。

■「あたかも最後の時であるかのように（サトルモブ）」

日時：3月2日 ／ 3月3日  
会場：池袋
詳細：<a href="http://subtlemob.com/">http://subtlemob.com/</a>

■「ライブ・アート・スピード・デート」
ストーク・ニューイントン・インターナショナル・エアポート

日時：3月1日・2日・3日
会場：スーパー・デラックス
詳細：<a href="http://lasdtokyo.wordpress.com/live-art-speed-date/">http://lasdtokyo.wordpress.com/live-art-speed-date/</a>

(February 27, 2010)]]>
      
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   <title>2010.2.22</title>
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   <published>2010-02-21T16:26:56Z</published>
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   <title>質問を投げるピッチャー</title>
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   <published>2010-02-21T15:32:44Z</published>
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      質問力について考える。職業柄、質問の精度をあげることには日々苦心している。なぜなら、これは数年来の仕事経験のすえ辿り着いたテーゼなのだけれど、質問の精度が高ければ解答の精度も高いから。「この作品のテーマはなんですか？」なんて漠然とした質問を投げかけても、相手もその球をどう打ち返したらいいかわからない。し、打ち返す気も失せてしまう。この球は俺に向かって投げられているぞ、と思わせる適確な質問を投げなければダメだ。

また要点を得ずにしゃべりはじめ、最終的になにが問いなのか分からないダラダラトークをつづけるのも困りもの。Clear(明解)に、Concise(簡潔)に、Correct(適確)に。これが質問力には肝心。CNNジャーナリストのクリスティン・アマンプール氏の質問など、この３つのＣを完璧にマスターしていて非常に勉強になる。ただ彼女の作法はすこし米国的なアグレッスブさが強すぎるように思えるので、日本社会で採用する場合には、個人的にこの３つのＣにもうひとつCompassionate(思いやり)を付け足すようにしている。

ちなみに、質問をする際にもっともやってはいけないことは何か。それは自我をひけらかすことだ。知識を吹聴するため、意見を誇示するため、むりやりそれを質問に仕立てて相手に身勝手にぶつける。これは絶対にやってはいけないマナー違反である。情報処理レベルの質問は別にして、情緒レベルの質問というのは、相手に明解に気持ちよく話してもらうための行為であって、自分が気持ちよくなるための行為ではない。でもそこのところをきちんとふまえずに、質問ボールと「エゴボール」を混同して投げてしまう人が意外に多い。

先日あるパフォーマンスのアフタートークを聞いていて驚いた。あまりにもこの手の「エゴ・クエスチョン」をする人が多いのだ。たしかにその場には、学のある、知識のある、質問が豊富にとびかっていた。だが残念なことに実際に質問された解答者は、どうしたらいいものやらしゃべりづらそうだった。最近は若年層におけるコミュニケーション能力の劣化が嘆かれて久しいけれど、その能力低下の原因は、むしろ発言力よりも質問力の低下にあるのではないか。いい球を投げるピッチャーがいなければ、会話という名のゲームさえはじまらない。ーーと、そんなことを考えながら風呂場で強烈な睡魔に襲われ溺れかけた今夜。文章がいつもよりキレがないけれど、しょうがない、もう寝よう。

(February 22, 2010)
      
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   <title>2010.2.13</title>
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   <title>文体と身体のリレーション</title>
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   <published>2010-02-13T13:55:04Z</published>
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      人よりもいくぶん身体的な物書きなんだと思う。なにかについて「書いてください」といわれ「はいわかりました」と電話をきり、それでその足で喫茶店にむかって二時間足らずですらすらと書きあげるということは、私の場合ない。ではなにをするのかというと、まずはプレパレーションをする。それは物書きがよくする下調べ、という意味でのプレパレーションとは別もので、そうではなく、その文章を呼吸するためのプレパレーション。体中の細胞がその文章を呼吸するようになるまで、肉体の準備を整えるのだ。

アラン島の自然美について書いてくれと言われれば、苔むすように悠然とした時が流れるヴィクトル・ユゴーの小説を読み、シューベルトの子守歌に静かにひたる。下北沢の若手作家によるアングラ芝居について書いてくれと言われれば、漫画喫茶におもむいて普段はあまり手にしないギャグ漫画なんかをぱらぱらとめくって、ついでに松屋で牛丼を食べてみたりする。要はアラン島であれアングラ芝居であれ、その地に棲息している人たちが吸うのと同じ空気を呼吸する。そうして体の状態を変えることで、文体もおのずと変わっていく。それはいささか非生産的で儀式じみた馬鹿げた行為に思えるかもしれないし、ともに生活をする家族や友人には七面倒くさいことかもしれない。そして自分でもたまに変身の飛距離に眩暈を覚えることがある。上方の大御所歌舞伎役者から、ドイツのアカデミックな演出家を経て、フランスのコンテンポラリーダンサーに飛んだときには、日替わりで改宗しているようで辛かった。(それに彼らは宗教と同じぐらい自分の芸術観こそ絶対だと思っていた)。けどやっぱりその肉体準備行為は、私にはとても大切なことのように思える。もちろんすべての文章に同等の労力を費やせるわけじゃない。でも大切ななにかを届けたいときには体から頑張る。長距離走者には長距離走者の、短距離走者には短距離走者の、それぞれに適した体があるように。ある種の文章を書く物書きにも、それに適した体があるように思える。

それで最近は、食事に気を使ったり、ヨガをしたり走ったり、挙げ句には断食道場に行こうという計画までもたげてきたり。とにかくなるべく体をニュートラルな状態に保つように心がけている。それはつねに家を整理整頓して清潔に保つ行為と似ている。ホテルの一室に独り夜中にぽつんと座りこんでいると、聖書は聖書、バスローブはバスローブ、剃刀は剃刀の、あるべき場所にすべてが置いてあり、そのまったく誤差のない秩序のなかで、いつも以上に生産的に思考がまとまっていくことがある。そんなときにふと思う。体にしろ環境にしろニュートラルであることとはつまり、思考のフットワークが軽いということなのだと。作家がホテルに缶詰にされるのも納得がいくってもんだ。

先日、箱根に住む心理療法士の友人に会いにいった。彼女の家は、家というにはあまりになんというか除菌されすぎていた。真っ白で大判のテーブルに、向きを整えて置かれた同じ型のペンが数本と、その横に置かれた匿名的なリングノートと、文具に除けものにされたようにひとりぽつんと置かれたクリーム色のマグカップ。机の横の本棚には、専門書全集が巻数の昇順にならべられ、文庫本でさえもその背の色によりあるべき場所に配置されていた。「乱れたものがあるとクライアントに影響が出るのよ」。彼女はその部屋でたまにクライアントとの診療セッションも行うのだが、室内の乱れが不安定なかれらの心を乱してしまうのだという。そしてそのノイズ障害によって、プリサイスな診療結果を得ることが難しくなるのだ。そのときのわたしは「ふーん」と適当な相づちを打ち話を終えてしまったが、のちのち体と文章のソマティックな相互作用について考えるにつけ、彼女の言葉が不思議な温度でふたたび染みわたってきた。そろそろ新たな文章プロジェクトもはじめることだし、もうすこし、身体と文体の関係性について考えてみようと思う。

(February 13, 2010)
      
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   <title>2010.2.4</title>
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      Blog updated.
      
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   <title>仮想リクルーティング活動</title>
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   <published>2010-02-04T14:42:05Z</published>
   <updated>2010-02-04T16:14:15Z</updated>
   
   <summary>わたしの職業は素浪人だ。誰にも仕えず何処にも召し抱えられず、刀一本、いや筆一本で...</summary>
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      わたしの職業は素浪人だ。誰にも仕えず何処にも召し抱えられず、刀一本、いや筆一本で世を渡り歩く。これは自分で選んだ生き方で、それをかなり好いているわけだけど、たまに自分が社会フロウからはじき出された心持ちになる。ひとりで調査し、取材し、執筆し、記事がようやく刷り上がる。それでもちろん社会人としてのペイを頂いているわけだけど、あまりに独りで居続けるため、たまに自分が世に本当に貢献できているのか疑問に思えることがある。わたしはちゃんと大人としての基礎戦闘力を培えているのか。どうなんだ。

そこでここ一週間ほどある実験に出た。素浪人であるわたしの実力は、一般市場でどれだけ有用価値のあるものなのか。簡単にいうなら就職活動をしてみることにした。とはいえ本気で将来の職場探しをしている新卒採用の子たちに混ざって企業廻りをするような、無礼なふるまいをするわけではなく。主にインターネットを使って海外や日本の企業に、自分がいままで培ったスキルである「文章」「知識」「語学」などを売ってみることにした。本業も忙しい日々がつづいていたけれど、気分転換として、英文の履歴書を書いたり、英語で文章を書いたり、目的がはっきりしているため学習効果も高くて作業は楽しかった。そして、レスポンスを待つこと数日。結果からいうと、いまだに新卒採用が主流な日本市場からはまったく音沙汰がなく、スペインとインドから仕事のオファーが来た。特にスペインのほうは、アディダスのプロジェクト・チームに入らないかというオファーでなかなか楽しそうに思えた。本気で逡巡した。一ヶ月ぐらい、試しにやってみてもいいかもしれないと思った。

その仕事を受ける受けないはべつにして、自分が社会に通用する人間になれている、という事実が嬉しかった。そんなもん対外評価がなくとも自分でわかって進んでいけよと非難されるかもしれないし、それはそのとおり全くごもっともなのだけれど、試しにバーチャル・リクルーティングをしてみたくなったのだ。まさか本気で採用されるなんて九割がた思っていなかったので、正直驚いた。この不景気のどん底のさなかに、そんな馬鹿げた動機で就職活動しやがって、とボコボコにされそうな話をして本当にごめんなさい。陳謝です。明日からまた、独立独歩、きちんとプロの文筆家として精進していきます。

追加余談。ナイトヨガをはじめたのだけれど、ある一定の種類の基本ポーズがどうしてもできない。原因をもろもろ考えた結果、わたしは身長比に対して腕が異常に短い事実が判明。別の名を借りるなら、これは胴長ともいう。

(February 4, 2010)
      
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   <title>平和なカフェと戦争</title>
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   <published>2010-01-29T13:10:38Z</published>
   <updated>2010-01-29T14:09:41Z</updated>
   
   <summary>執筆のためによく喫茶店を利用する。スターバックスやセガフレードなど何処にでもある...</summary>
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      執筆のためによく喫茶店を利用する。スターバックスやセガフレードなど何処にでもあるチェーン店だ。日本では喫茶店という呼称のもと認知される店に入ると、どうしてもゆっくり長居できない。うちの自慢の珈琲を味わって一息ついたら「ご退席下さい」という婉曲的圧力をーーたとえばお冷やをそそぎに来るタイミングなどに感じてーーなんとも落ち着かない。し、愛用マックブックを開いて仕事をするなど、たまにやるけど、かなり度胸がいる。そこへくると時間単位のシフトで働くバイト君たちが店を仕切るチェーン店はじつに気楽。ラテ１杯で何時間でも放っておいてくれる。

さてそんな自由空間にまっぴるまから長居をしていると、仕事現場では会うことのない、実に雑多な人々に遭遇する。校則ぎりぎりのラインでどれだけ長い「まつげエクステンション」をつけられるかに一時間も悩む女子高生たち。自分がどれだけ東京の道路事情に詳しいかを自慢しあう免許取りたてと思しき男子大学生たち。その横で席のうえにあぐらをかき食い入るように求人情報誌を睨みつづける三十代男性。じつにすべてが日本的だ。そんなおり、偶然にもとてもとても興味深い議論に出くわした。わたしの隣に着座した、三十代前半の男子と四十代のおじさん。ふたりは同郷の知り合いらしく、東京で久方ぶりに会ったよう。若いほうはネルシャツにジーンズ、冴えない風体でフリーターとして東京で暮らしている。中年のほうはグレーのスーツに水玉ネクタイ、出張で一時上京中だ。

「夢を持てよ」と、おっさんは若者をいきなり鼓舞しはじめた。夢を持てよ、まだ若いんだから。なんだってできるじゃないか。フリーターは確かにきついかもしれない。でも働きながら週末に好きなことをして夢を叶えるやつはいるよ。俺の知り合いでもそうして作家になった奴がいる。すごいんだぞ。広告会社で働きながら、しこしこ週末に原稿を書きつづけたんだ。おまえ、建築家になりたいって言ってたじゃないか。なにか勉強してるのか？

若者の返答は、じつに現代東京的。夢どころじゃない。夕方から夜勤に出て朝帰宅して、午後まで寝ての繰りかえし。週６日それで働いて、月に13万しか給料が入らない。一人暮らしもできないし、彼女もできない。その年齢でなぜ親元を離れないんだ、とまわりには白い目で見られるけど現実問題むりなんだ。それに建築家云々はもう若いときの話だよ。いまは普通に家庭をもって普通のしあわせを手にいれたい。でも、その未来も僕には思い描けない。

この嘆きに対してまたおっさんが「辛気くさいことを言うな」と喝をいれ、その言葉に対して若者が「でも」とさらに沈んでいく。歩みよりも解決もない永遠のリピテーション。

さて、この無限会話の何がそんなにおもしろかったのか。端的に言うならそれは「おっさんが夢の不在を嘆き、若者が希望の不在を嘆く」その世代的な価値観のちがいにある。おじさんが社会に出たとき、世はおそらくバブルだった。平日仕事をしていれば、週末に夢に打ち込むことも可能だった。普通に生きていれば普通に給料がもらえ、その経済力で余暇をまわせた安楽な時代だ。ひるがえって若者は、現代の暗黒不況に生きる。氷河期に就職活動をするも内定をもらえず、非正規雇用で今まで食いつないできた、だが働けど働けど自立した生活が望めない。普通に生きたいという希望さえ叶わない。いわんや、その先にある夢をや。

と、いきなり若者が妙に明晰な口調で暴言を吐き隣席のわたしを仰天させた。
「戦争がおきればいいんだ」
戦争がおきれば、世のすべてが崩れる。そうすれば僕にもチャンスがまわってくる。英雄にだってなれるかもしれないし、退屈な日々はとりあえず終わる。まるでフリーター論客のひとり赤城智弘さんが語る世界転覆願望そのものだ。東京ではいま、三十代までの若者の三人にひとりが非正規雇用労働者だ。にもかかわらず就業時間はヨーロッパより年５００時間ほど多く、年間三万人以上が自殺する。そんな夢も希望も持てない世界では、若者は平和より戦争を望むのか。甘えたこと言うんじゃない、自己責任だろ、働けよ、前進しろよ、と社会基盤が安定した場にいる大人が叱ることはたやすい。でも本当にこの隣席の男子は、戦争という未来にしか希望が持てないのかもしれない。彼にとってそれは極論ではなくいたく現実論なのだ。明るくないブログを書くのは嫌だ。でもこの平日の平和なカフェの一角でひたひたと進む末期症状は、さすがにロスジェネ同世代として看過できないように思う。非正規雇用を増やすスタバではなく街の喫茶店に、少しけむたくても行くべきなのかもしれない。

目をおとせば手元には寺山修司。
「僕はいまできることでこの生ぬるい湯気みたいな平和に抵抗するしかないんだ」

(January 29, 2010)
      
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   <title>エンデと望郷の想い</title>
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   <published>2010-01-23T16:31:51Z</published>
   <updated>2010-01-29T13:26:28Z</updated>
   
   <summary>ミヒャエル・エンデの『遠い旅路の目的地』という短編小説を読んだ。 母の顔を知らず...</summary>
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      ミヒャエル・エンデの『遠い旅路の目的地』という短編小説を読んだ。
母の顔を知らず、父から愛されず、ただうなるほどの金と地位を与えられ、精神が生活から孤絶した状態で育ってしまう少年。表情に乏しく世のなににも動じない彼は、まるで薄い皮膜の向こう側で、全世界の傍観者になってしまったかのようだ。そんな彼があるとき「故郷」という言葉に出逢う。そしてすべからく人は故郷を語るとき、表情を和らげ頬をほてらせ興奮することに疑問を抱く。果たして人の心をあたたかな色あいに染めあげるこの「故郷」とはいったいなんなのか。彼の明晰な頭脳は単語の概念を理解することはできても、その概念をどうしても生理と結びつけることができない。そして少年は故郷と呼べるなにかを探すべく永く遠い旅路に出る。

エンデの小説はいつもこうして、ひとつのささやかな疑問からはじまる。彼自身のなかにもおそらく明解な答はない。ただ子供のように放逸な好奇心でもって「故郷とはなんだろう」と読者に問いかける。そして子供向けにつづられた平易な言葉でもって、油断のならないアバンギャルドな哲学を打ちだしてみせる。それこそ凡人がゆったり腰を落ちつかす平穏な既成概念を粉みじんに打ち砕くような、なかなかに危険な結末に達したりする。

この短編にしても読者は、文章に目を通すまえまでは「故郷とは故郷と呼べる土地のことだろう」と信じて疑わぬ無批判な常識をかまえているはずだ。辞書をひもといても「故郷＝生まれ育った土地、ふるさと」と解説されている。だが作品を読み進め、エンデの疑問提起にのることにより、故郷という概念に対して根こぎ状態に陥るような思考を強いられることになる。果たして故郷とは本当に土地のことなのか、その土地と結びつけられた人のことなのか、あるいは土地も人も関係なくのちの人生で出逢う芸術や宗教も故郷になりうるのか。実際この小説の主人公は、最後まで人や土地に故郷と呼べるぬくもりを覚えることができず、一幅の絵に故郷を見る。

ときを同じくして唐詩選を精読していて、いかに望郷の念を詠み上げる歌が多いかに驚いた。いまどきのぞろっぺえな言葉でいうならホームシック。つまり故郷を恋しいと想う心は、恋愛や別離と同じように、歌にせずにはいられないほど烈しく詩人の心を揺さぶってきたのだ。けれどこのとき詩人たちが詠んだ「故郷」とはいったい何だったのか？　ある一定の土地だったのか、ある独りの愛する人だったのか、あるいはすべてが想像上の美化された追憶にすぎなかったのか。

わたし自身は土地に望郷の念を抱いたことはない。東京に生まれ海外もふくめ幼少期に引っ越しを七回もしていては、どこを故郷と呼んでいいのかわかりゃしない。では家族は故郷ではないのかと問われると、それはイエスでもありノーでもある。やはりこの年齢になると、父と母が作りあげた家族は本質的には彼らふたりのものであり、自分はすこし余所者だ。もちろん大切な存在ではあるけれど海外に出てホームシックになることはない。さてそうなると、わたしの故郷はどこにあるのか。答えは「いまだみつからない」。そして二ヶ月前のブログにも書いたけれど「おそらく人にある」。エンデがつぶさに描写したように、ふとした瞬間に想い出すだけでふわりと笑顔を浮かべてしまう、その温かななにかこそが故郷と呼べるものになるはずだ。三月からすこし長く海外に出る。そうした異質な時間を持てばまた、故郷に対する考えも変わるかもしれない。

(January 24, 2010)
      
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