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誕生日と男女共存論
精神ー生活、絶対性ー相対性、社会ー家族、
能動ー受動、計画的—即物的、理性ー感情。
前者が男性にあてはまる項目で、後者が女性にあてはまる言葉。
これら対比は時のまにまにわたしが考えたことだけれど、何も改めてここでいわずとも、古代中国の陰陽道からユングのアニムスとアニマ論にいたるまで、男性と女性とに生得的な差違があることは、洋の東西を問わずさまざまな賢人が語っている。
だがいまは男女同権の時代。誰もが平等に働いて稼いで家事をする、男女で五分な生活が理想とされる。けど、わたしはこれにとても懐疑的。時代を逆行するような物言いかもしれないが、男性には男性の女性には女性のそれぞれの美点があり、双方は補いあってはじめてひとつの球体になるのだと思う。
わたしのまわりには、二十代から四十代の独身女性が大勢いる。なかにはいちど結婚をして、早くも離婚して独り身を満喫している強者もいる。そして職業も国籍も男の趣味も違う、彼女たちが同じように口にするのは「ひとりはラク」ということ。男に気をつかって生きるなんてもうこりごり、一歩身を引いて男をたてる時代なんて石器時代の昔よ。そう、あっけらかんと笑う。そして年末年始には気の置けない女友達と、上海、ソウル、グアム、台湾、香港と経済不況でも気軽に行ける海外旅行をエンジョイする。じつになんとも逞しい。いまは草食系男子という言葉が巷間をさわがせているが、それに比例して、女性マチズムとも呼べる現象があきらかに増えているように思う。
しかも彼女たちは、本当に、強い。社会的成功をおさめる男性マッチョたちが、いざ縁の下の力持ちな女の存在がいなくなると、とたんに折れる内的脆弱さを抱えていることが多いのに対し、女性マッチョたちは誰の力も借りず、独りで立ち独りでへいちゃら。でも、ここにひとつ見過ごせない弊害がある。たとえどれほど独りでいて平気でも、独りでいつづけると女は精神的に無精になってゆく。わたしはこれでいいのよ、わたしはこういう人間なのよ、と自分の煩悩のままに生き続けるようになってしまう。そしてこれが数年放置されると、自分への戒めも込めていうのだが、多くの独女は女でなくなる。社会的には女という区分けで分類されながらも、無性の動物と化していく。
だから、女は女で居つづけるために男が必要だし、男は男として逞しく生きるために女が必要。これがわたしの男女同権論ならぬ男女共存論。目は二つあってはじめて、世界の奥行きを認識できる。それと同じで、男と女も二人でいるからこそ、世界や社会や自分への理解が深まっていくように思う。ラクというのは「なにもなくて平穏」という生き方だ。だが信頼があれば「なにがあっても平気だ」という二人の生き方ができるように思う。まあ。これはとても実現がむずかしい究極の理想論かもしれないけれど。
今日でわたしは32歳の女になった。でもまだ完全な一個の球体にはなれていない。その事実に対しての深い深い自責の念と、愛を信じつづけたい絶望ぎりぎりの希望と、たまに災いを招くわがままな頭脳と無技巧な心をうまく制御して、これからまた新たな1年を過ごしていきたいと思う。
(December 19, 2009)
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