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思考と表現とシエンツァ
最近、東京はずっと天気がいい。そして、太陽を浴びているとなぜか思考が止まらない。
そこで日光量と集中力の関係性について考えはじめてみる。次に、仕事環境とストレスについて考える。ストレスから、良質な睡眠について考える。またiPHONEアプリケーションのスリープサイクルで自分の睡眠サイクルでほぼレム睡眠がないことについて悩み考える。夜、恋愛について考える。ポルトガル人の知人が「愛されたい、恋愛受動態男子が増えている」と話していたことについて考える。でも愛されることより愛することが、生きがいを充たしていくんだろと漠然と考える。みぢかな人間関係の客観性について考える。理性の基盤となる謙虚さが自分には足りないことに気づき考える。サン=テグジュペリの「夜間飛行」と孤独感について考える。モリエールの「成り上がり者」で「ひとは食べるために生きているのではなく、生きるために食べているのである」という一文について考える。その流れで身体づくりのため、新しいジムを選び通いはじめる。そして走りながら呼吸法について考える。よい呼吸ができているときは読書が捗ることについて考える。フランス語の教師と「読書」についての日仏での意識的差違について語り考える。教師の持ち馬ロッキは寒いほど乗馬コンクールで好成績を残せるらしく、冗談で地球温暖化と乗馬成績の相関関係について笑い考える。デモが続くコペンハーゲンのCOP15と、いまの東京の九月の秋晴れのような天気のよしあしについて考える。
考える、考える、と書いてみたが。これだけいろんなことを上辺意識で考えていると、じつはなにも考えていないのではないかとも思えてくる。あるいは、その底になにかひたひたとすべてがつながる統一欲求があるのではとも思えてくる。考えることは愉しい。頭脳労働はわたしの仕事の一部でもある。だがそれをなにか形にして生産しないと、煙のように思考が流れては次の瞬間には消えてしまい、なんだか不毛な気持ちにもなる。急ぎすぎてかたちにすると、自分の思考を裏切ることにもなるため気長に待つことも必要。だけど待ちすぎて完璧を望みすぎても、せっかく溜まった思考の流砂をむだにしてしまう。小さくてもいいから「どう、これ私が作ったのよ」と主張する砂山を作ることが大切。ダ・ヴィンチもこんなことを言っている。「考えているだけでは不充分で、それを口であろうとペンであろうと画筆であろうとノミであろうと、表現してはじめてシエンツァ(知識)になる」。
(December 14, 2009)
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