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イニシュマン島の静寂 1
極東から極西へ、アイルランドの西の果て、アラン諸島へ旅してきた。芝生が生える音が聞こえるかと思えるほど静かであり、虚勢や見栄や尊称といった対外的な利益のためにおこる争いごとから無縁に穏やか。ただ人々が太陽が昇ってから沈むまでの時間を丁寧にすごしているだけの僻地の島。否応なく「Living」という単語の意味をあらためて考えさせられざるをえない、純精神的に充実した旅をすごすことができた。さてこの清心な感覚がすっかり自分の身から抜け落ちてしまわぬうちに、文字に書きおこしておこうとおもう。
まずは島の概要から。アラン諸島とは、イニシュモア(モア=大きな島)、イニシュマン(マン=真ん中の島)、イニシュエア(エア=東の島)の三島からなる小島群。「ゲールタクト」という現在ではアイルランドでたった2%しか残存しないゲール語使用地域として有名で、喉の奥で微かにうめくような持続低音を響かせる「グラマハァグットゥ」という鈍色の挨拶があちこちで交わされている。旅の初日に降下したのは、三島のなかでも約160人ともっとも人口の少ないイニシュマン島。本土コネマラ空港からエアー・アランアイランズの小型プロペラ機でたった7分の飛行時間で、「飛ぶ」というよりノミのように「撥ねて落ちる」感覚で岩盤の大地に降りたった。
タラップを降りると、そこには不純物のいっさいない完成された静けさがあった。
目にまばゆい真昼の海の群青色の水光りと、島中に積まれた石垣のあいだを吐息のように吹き抜ける風の音、そしてアイルランド語で「神様の涙」という名を持つ真紅の野花にたかる蜜蜂の羽音。「Silence is Golden(沈黙は金なり)」という警句はここアイルランドが発祥の地だと聞いたが、この島に降りたって、なぜ人々がかほど沈黙に価値を見いだすかが身に浸みてわかった。俗な無駄口を叩くだけで辺りいったいの空気が乱れてしまうのではと思われるほど、島全体をつつむ静寂に清らかさがあるのだ。
その静けさは、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に張りつめる厳格で重厚な静けさとも、都内の漫画喫茶にただよう退屈腐臭と同義の無音とも異なる、軽やかに自然と調和したうえで口を噤んだ賢明な大地。島に降り立ちものの一分で、この静けさを破壊せずに暮らすことが島民の暗黙知のように思えてきた。これはなにも人間だけに言えることではなく、島で飼われる家畜や家禽たちにも同じ知がうかがえた。牛であれ、馬であれ、アヒルであれ、イニシュマンの静謐さのなかでは無駄な言葉を漏らさないのだ。孤独に慣れ親しんだ動物たちは、なにも用がないときにはただ黙る。そして用事を訴えたいときには、人が来るまで単調に控えめに啼きつづける。
たとえば散歩途中にたまたま出逢った一頭のまだら模様の乳牛は、石垣に囲われた放牧地のなかで、五分に一回「オォーイ」と、丘向こうの飼い主になにか不意の事態を訴えるかのように、脳髄が漏れるような大声で定期的に呼び声を張りあげていた。なにかことが起こるかと、こちらも半時間ほど石垣に腰掛け眺め続けていたのだが、飼い主があらわれる気配はなく、されど彼は焦る様子もなく両足を大地にふんばり辛抱強く呼びつづけていた。あるいは、民宿前の電線に朝9時になると定期的に留まりにくる数十羽のコマドリたち。彼らはピーチクパーチクありきたりな鳴き声をいっさいあげることなく、等分に配列され糸を通された美しい首飾りのように横一列にならび、穏やかに日光浴を愉しむかのように数分休息しては去っていった。私は、これほど意志と秩序のある賢い動物たちを目にしたことがない。
どうやらイニシュモアの一日を満喫するためには、まず自分の内面を凪いだ静寂に変えてみせる必要があるようだ。そこからしか体感できない美しい何かがこの島には確実にある。
写真入りの旅行記はこちら >>http://kyokoiwaki.com/ARTicle/
(October 10, 2009)
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