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精神的な受動態からの脱出
夏バテの疲れからか思考が断片化して、きちんとまとまった文章が頭から出てこない。そんな今日このごろ。机に向かうのが億劫でしょうがない。ただこれはここ数年来の文筆家業で確立された教訓なのだが、どんなときでも、どんな状態のときでも、とりあえずなんとか頑張ろうと試みてみる。最初の一文をひねり出してやろうと努力する。で、この苦しいときの頑張りが、文章のアベレージをあげていくコツではないかと思う。気分が向いたときだけ、風の吹くまま気のむくままに、なにかに取り組んでいるのでは趣味の域を出ない。
思考力が絶好調のとき、体調が絶好調のとき、環境的に最適なとき、諸条件が整ったとき。そうやっていろいろ自分に条件づけしていくと、身動きがとれなくなってしまう。また苦しいときには休んでいい、というルールづけを自分でしてしまうと限界値がなかなかあがっていかない。昔、十年ほど、踊りをならっていたときにもこれと同じルールがややあてはまったのだが、身体が重いな、やる気が持てないな、と思ったときでもとりあえずレッスンに向かう。そうすると、体調が悪いときの悪いときなりの是正方法が分かってくる。しかも努力をすることが習慣化されていって、特に努力が苦ではなくなっていく。むしろ日々の自分を定点観測することが、生活にリズムを与え楽しくなっていったりもする。
ここ数年ほど私は、精神的に、気分の赴くままな生き方をしてきた。行動面では、人に気づかされることもあり、それ以前よりかなり能動的になれていたのだが(そしてその変化が自分でもとても嬉しかったのだが)ーー「精神的な受動態」は抜け切れていなかった。だから日々の努力が蓄積していかない感覚があって、ものすごい不毛感に襲われたりもした。つまり行動しても行動しても、それが自分の精神的な軸に沿ったものなのかどうか今ひとつ確信が持てなかったのだ。だから文章を書きながら、資料集めをしなきゃと思い、資料集めをしながら、次の旅取材のアポイントを入れなきゃと思い、アポイント入れをしながら、もっと図書館で勉強しなきゃと思う。つねに自分のなかで、いろんな人間が、口々にやりたいことを気分の赴くままに発言するのだ。これはカオスだ。
ただ考えてみると私はこうしたカオス状態と秩序状態を、数年ごとに、行き来する傾向があるように思う。カオス状態でいちど自分の価値観をできるかぎりフラットにのして、そのあと新たな秩序を作る。そして、その新たな秩序で意図的なリズムを刻み始める。私はいまちょうど、この端境期にいる。だから夏バテのせいで思考が分断されると冒頭で言ったけれど、それだけでなく、根本的にまだ新たな自分の思考体系をまとめきれていない面がある。
でもそれでも日々とりあえず、ペンは持つ。すると文章が自分の鏡になる。自分がどれだけ乱れているか、軌道からずれているか、秩序をとりもどしてきているかを、活字が教えてくれる。なにかひとつのことを続けるというのは時には苦しいことだけど、不安な自分を安定さえてくれる人生の支柱にもなる。そうしたものを、ひとつでも手放さずに持ち続けることはいいことだ。だから今日も私は机に向かう。打率1割5分の体調だとたとえわかっていても闘わねば。
(August 21, 2009)
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