フィレマトロジー

学問は人の悩みからはじまる。哲学であれ、数学であれ、医学であれ。どうにも納得がいかない解決できない、と人が夜な夜な頭を抱え必死に考えぬいたときに学問は否応なく生まれてくる。そう考えるとなぜこの世に恋愛学というものがないのか。いろいろ調べても、あのフロイトでさえ、恋愛についての持論を語るときには『性と愛情の心理』という言葉をつかってやや及び腰である。古今東西のあまたの芸術家が歌に歌い、絵に描き、言葉につづる、人類普遍の懊悩なのに。なぜ学問にならないのか。恋愛とはどうにも論理では語りきれないものなのか。そんなおり、昨年のいまごろ取材をさせてもらった、ヘレン・フィッシャーさんというアメリカの人類学者の関係で興味をそそられる情報を得た。なんでもこの世には<フィレマトロジー>という耳なじみの薄い学問があるという。これは知る人ぞ知る「キス」にまつわる学問。接吻というものは人類学的な見地からみて、本能的行為なのか後学的行為なのか。進化心理学的な視野からみて、人の心にどのような影響を及ぼすのか。また行動生態学からみて、キスという行為の頻度によって愛情の度合いは推し量れるのか。そのような疑問を日夜真剣に考え、議論を戦わせている学問集団がいるという。おもしろい。

さて、これらフィレマトロジストたちによるとーー、キスには様々な素晴らしき科学的効用が認められているという。まず第一に、唇と唇を重ねた瞬間、愛する者たちの脳内では、テストステロン、ドーパミン、オキシトシンといった数々の快楽ホルモンがどぱっと誘発される。これらはおのおの性的高揚、恋愛心理の増強、親密感の強化、を促すもの。つまりはキスによって人は脳内であらゆる脳内麻薬を放出し、その結果として、人間関係のストレスレベルを軽減しているのだ。ちなみにあるカナダの大学の研究によると、キスをしてから家を出るカップルのほうがそうでないカップルに比べ、欠勤率が低く、収入が25%も高く、寿命は5年も長いという。本当か。さらにギャロップ・サーヴェイによると、14.6%もの女性がキスを飛ばして「次の段階に進んでもいい」と考えているというデータがありながら。その反面、同じく女性は、セックスではなくキスの頻度によってパートナーとの関係性の親密度を推し量っているというファクトもある。愛がなくてもセックスはできるけれど、愛がなければキスはできない。五万の言葉が語りえないことを、ひとつのキスが語りつくす。旧来言い尽くされてきたことだけれど、その感覚の裏にはなんらかの科学的根拠があるらしい。

昨晩ある知人から、まわりの同世代の男女の多くが離婚の危機を迎えていると聞いた。しかも彼らの大半はパートナーに「手をあげてしまって」裁判沙汰になっているという。果たして彼らは日々、愛のこもるキスを交わしていたのだろうかーー。

(June 10, 2009)



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