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豪州でベッタな街
初夏の日本をぬけだして、南半球の街におりたつ。あたりまえだが季節は逆転、ここは秋の終わり。オーストラリアの乾燥した空気で、水分を奪われ老いた木々が、黄土色の枯葉を路上にはらはらと落とす。だが、これだけの距離を南方に移動してきたにも関わらず、季節の反転以外に、さほど目新しいものがないことに、ちょっとだけがっかり。特にシドニーの街は、ニューヨークとサンフランシスコを半々に混ぜて少し大味にしたような町並みで、ホテルから飛び出して外に出ても、新鮮味がひりひり肌に刺さってきて刺激的だぜ、というよりも、まったく緊張感なくぬるぬるとした日常感覚に近い日々を送れる。なにせ、街にならぶ店がスタバやらマクドナルドやらサブウェイやらなのだ。まあ、そうした店の前の路上にたむろしている鳥が、鳩ではなくカモメ、というところは確かにオーストラリアンなのだけど。グローバリゼーションは文化を壊す、という端的な例だ。
ただ旅初日に、一日だけ訪れた、メルボルンの街はシドニーよりはいくぶん面白かった。
メルボルンのタクシーの運ちゃんの話によると、ここはシドニーとはライバル関係にある街らしく。明日はシドニーに行くんだ、と私が車内でつげると「メルボーン、ズ、ベッタ(Melbourne is better)」とずーずー弁のように訛った英語で街自慢をしてくる。ま、ベッタかどうかは分からんが、確かに日本人からすると、メルボルンのほうが異質さが俄然極端で面白い。まず食べもののほとんどが、水ぶくれした溺死体のように巨大。重量リングのように重たげなドーナツ、犬の餌のように山盛りなフレンチフライ、バナナのようにでぶな寿司の細巻き。はなはだ失礼な話だが、食べもののできが「頭悪そう」。あとなぜかこの街には、中年パンクが多くて、高さ1メートルはありそうなモヒカン頭に革ジャンをまとって、でも「会社帰りでお疲れ」みたいな中年男子がそこここにいる。こういう我が道を行くファッションを貫く人は、多くの人がとても平均値で小綺麗なシドニーでは見られないので面白かった。
街にはそれぞれ個性がある。その街の個性は人が作る。
ただ大きな街になればなるほど、人は自分たちがその街を創りあげているんだという事実を自覚を忘れて没個性化していくのかもしれない。

Melbourne

Melbourne

Sydney

Sydney
(May 10, 2009)
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