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	<title>ARTicle &#187; Travel</title>
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	<description>Theatre Travelogue by Journalist Kyoko Iwaki</description>
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		<title>Report / 太陽劇団、ピーター・ブルック、ジンガロ</title>
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		<pubDate>Sat, 30 Apr 2011 14:46:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Theatre]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[ピーター・ブルック、太陽劇団のムヌーシュキン、ジンガロのバルバタス。 彼らは揃って親日家なことも幸いし、過去に豊かな演劇体験を極東の島国まで届けてくれた。だが厳密に語るなら、それはクリエイション全体の、ほんの片鱗にも満たないかもしれない。パリとその周辺にある個々の常設劇場に足を運び、そこでの体験にコミットすることではじめて、彼らの総合芸術の真価はわかる。落葉に濡れる初冬のパリ。巨匠たちの三つの常設劇場を探訪した。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_852" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2011/04/ML-MG_6696-300x200.jpg" alt="© Michèle Laurent, 2010" title="ML-MG_6696" width="300" height="200" class="size-medium wp-image-852" /><p class="wp-caption-text">© Michèle Laurent, 2010</p></div>太陽劇団<em>『愚望に溺れる難破者たち』</em><br />
＠ラ・カルトゥシュリー<br />
【原作】ジュール・ヴェルヌ<br />
【作】エレーヌ・シスー<br />
【演出】アリアーヌ・ムヌーシュキン、太陽劇団</p>
<p>ジンガロ<em>『DARSHAN』</em><br />
＠ジンガロ・シアター<br />
【構成・演出】バルバタス</p>
<p>ピーター・ブルック演出<em>『ある魔笛』</em><br />
＠ブッフ・デュ・ノール劇場<br />
【ピアノ演奏】フランク・クラフチク</p>
<p></bl><br />
はじめに訪れたのはムヌーシュキン率いる太陽劇団の＜ラ・カルトゥシュリー＞。直訳すると火薬庫という意味のこの場所は、19世紀にフランス軍に捨てられた廃屋武器工場を役者みずからカナトコを振りあげ３週間で蘇らせたことにはじまる。1970年開場当初、こんな郊外に「客が来るのか……」といぶかしむ向きもあったというが、現在では敷地内に太陽劇団のほか四つの劇場と、演劇学校ＡＲＴＡ、カロリン・カールソンのアトリエが年中客足のたえぬ「劇場集落」を作りあげている。</p>
<p>メトロ１番線の終着駅から無料送迎バスに乗り換え、ヴァンセンヌの森のカルトゥシュリーに辿りつく。と、今回の演目『Les Naufragés du Fol Espoir（愚望に溺れる難破者たち）』のためにお色直しされた演劇小屋が目に飛び込む。飾り文字、色電球———まさに今回の舞台設定となる、20世紀初頭のギャンゲット(大衆キャバレー小屋)そのものだ。</p>
<p>ドンドンドンドンドン！　 開演１時間前に扉の内側から快音が響く。ムヌーシュキン自身による「開場の儀式」だ。この音ののち観客は 「accueillis＝もてなし」の精神で場内に迎え入れられる。最初の間は、天井高６メートルの木造ロビー。役者と観客がまぜこぜに行き来する室内で、ゆったり手料理を堪能できる。次の部屋は、役者の控えの間。遠慮がちに刺繍レースのカーテンを開けると彼らの化粧風景を覗き見できる。さらに奥に進むと、ようやく演技空間が。この14m×14mの舞台面で、じつに10ヶ月に及ぶコレクティブ(ムヌーシュキンが取る集団創作の方法)稽古で完成した３時間45分の大作が上演される。</p>
<p>新作の主題は、一縷の希望をもち未来に賭したヨーロッパ人たちの愚かなまでに勇敢な歴史譚。1914年。サラエボ事件が勃発し、第一次大戦の火蓋が切られたまさにその日に、パリはずれのギャンゲット店「Fol Espoir」の屋根裏で、社会主義の映画監督がジュール・ヴェルヌの『ジョナサン号の難破者たち』を土台に、自主映画を撮りはじめるところから始まる。</p>
<p>本作では1914年現在の出来事と、無声映画の劇中劇が併行して演じられる。たとえば第一場では、ハプスブルク帝国皇太子ルドルフ役を、現代では共同映画監督に扮する役者がクチパクの無声演技で仰々しく演じぬく。場面に登場しない人々は、風を起こし、照明をあて、画面に見切れないよう突っ伏して美術を支え、ＳＦＸ出現以前のけなげな人力裏方作業にまわる。</p>
<p>最終場、ムヌーシュキンはフランスの政治的英雄ジャン・ジョレスの「自由を基盤に、平等を手段に、友愛を目的に生きよう」という言葉を引用する。そして無声映画の登場人物たちも、第一次大戦中の映画人たちも、それを見る我々現代人も、あいもかわらず「愚かなユートピア願望」を目指してもがいているのかもしれない――、と過去と現在をつなげて幕をおろす。欧州史の延長に我々の「生」が確認できる、社会派ヒューマニストのムヌーシュキンらしい傑作史劇だ。</p>
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		<title>Paris Report / ジャネット・カーディフ「40 声のモテット」 ニュイ・ブランシュ(3)</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Dec 2009 13:08:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[トルコ人アーティスト・サルキスのインスタレーションですがすがしい充足感を得たのち、メトロには乗らず、気ままに夜の散策を愉しむことに。ソルボンヌ大学のあるカルチェ・ラタン地域を通り抜け、セーヌ川を渡り、対岸のシャトレ＆マレ地域へというルートを辿ることに。カナダ人アーティスト、ジャネット・カーディフによる圧巻の音響インスタレーション『The Forty-Part Motet 40 声のモテット』やマーク・ウォリンガーの『Threshhoold to the Kingdom』を観てまわる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/12/IMG_0073-224x300.jpg" alt="IMG_0073" title="IMG_0073" width="224" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-572" />パリは予想以上に小さな街だ。地下鉄駅にして５つほどの距離があったとしても半時間も歩けば余裕で到着できてしまう。しかも今宵は街のいたるところに驚きにみちたアートが設置されている「百夜祭」。好奇心の赴くままに街角に視野を飛ばしていけば、いくらでも疲れ知らずに歩けてしまう。そこで筆者は、先週の稿で書いたように、トルコ人アーティスト・サルキスのインスタレーションですがすがしい充足感を得たのち、メトロには乗らず、気ままに夜の散策を愉しむことに。ソルボンヌ大学のあるカルチェ・ラタン地域を通り抜け、セーヌ川を渡り、対岸のシャトレ＆マレ地域へというルートを辿ることに。観光と芸術鑑賞をかねた、真夜中の散歩に気持ちは弾む。</p>
<p>余談だがそうして夜風に吹かれながらのウォーキングを開始してすぐに、アルことに気づく。ここはフランスのパリだというのに、耳に飛び込んでくる言語の半分が、ハンバーガーの匂いのするブロークンな英語。パリはむろん多国籍な街ではあるけれど、この英語の多さは普通でない。アメリカで発刊されている旅行ガイドブックなどでニュイ・ブランシュが大量宣伝されているのだろうか？　だがもしそうしてこのフェスティバルが、地元民以上に観光客をもてなす産業の一部になっているのだとしたら、それはパリ市長としては願ったりだろう。アートで街のイメージアップを計れると同時に、経済効果も高められるのだから、まさに一石二鳥だ。</p>
<p><em>写真：ドイツ人映像作家メラニー・モンショウの作品を上映していたシャトレ座前は、深夜だとは思えぬ黒山の人だかり。待ち時間を表示する看板を見に行く勇気もなく、後ずさりして帰ってきてしまった。</em></p>
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		<title>Paris Report / サルキス「Litany」ニュイ・ブランシュ(2)</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 02:58:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[夜10時。ダウナーな現代音楽が響くメトロ「Arts et Métiers」駅から地下鉄を乗り継ぎ、トルコ人巨匠芸術家サルキスのインスタレーション作品『Litany』が展示される5区のグラン・モスクに到着。そこには視覚・聴覚・嗅覚のすべてから観客を刺激する、光と水とバラの香による聖なる瞑想空間が作りあげられていた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_562" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/11/DSC52461-300x199.jpg" alt="Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris" title="Sarkis / Litany" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-562" /><p class="wp-caption-text">Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris</p></div>高揚感はメトロを待つときから高められる。地下鉄的構内に響きわたる、どこか夢想的な倦怠感のたゆたう現代音楽。どうやらこれも作品の1つらしい。のちに調べたところによると、これは毎週日曜夜11時からラジオ曲フランス・クルチュール(France Culture)が放送している、かなり前衛的な音響番組ACR(L’Atelier de Creation Radiophonizue)で、13週にわたり放送された音楽をリミックスしたものだそう。世界的マルチメディア・アーティストのローリー・アンダーソンや、リトアニア人の実験映画監督ジョナス・メカスがたずさわった放送回の音楽も含まれているという。</p>
<p>　さて、そんなダウナーな酩酊状態に意識をひきずりこまれそうなリミックス・ミュージックに耳を澄ましながら、いざアール・エ・メティエ駅を出発。途中7番線に乗り換えて、5区にあるプラース・モンジュ駅で下車した。</p>
<p>　このあたりは、いつもなら夜中には閑散とした静けさに包まれる地域。だが今日は目に見えて人通りが多い。しかも彼らがみな同じ方角、トルコ人巨匠芸術家サルキスの作品『Litany』を展示するグラン・モスクに向かっている。この人たちみんな、モスクのなかに入るのかしら。小さな不安が脳裏をよぎる。そして予感は的中。満月を借景に美しいミナレット(尖塔)がそびえるモスクに到着すると、この歴史的建造物の周りをぐるりと、推定400メートルトラック1周半分の行列が取りかこんでいた。そして入口には「待ち時間、約45分」の立て札。帰ろうかな。一瞬、気持ちが折れる。</p>
<p><em>写真：イスタンブール出身の巨匠芸術家サルキスは、パリ市内最大のモスクで光と水と香りを用いたインスタレーション『Litany』を展示。モスク内部、パティオの泉亭から夜空にむかって光線が伸びる。あたり一帯にはバラの香が漂う。</em></p>
]]></content:encoded>
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		<title>Paris Report / 眠らぬパリの芸術祭「ニュイ・ブランシュ」(1)</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 09:34:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[　イベント好きで知られるパリ市長、ベルトラン・ドラノエ氏。その彼が考案し今年で８回目をむかえるアートイベントが「ニュイ・ブランシュ」。直訳するなら白夜祭と題されたこの企画は、その名のとおり、パリ市内で夜っぴいてアート祭りがくりひろげられる。夜７時から朝７時まで、初秋のパリのいたる場所で、世界中の現代アーティストたちによる作品が無料で展示されることになるのだ。筆者はこの祭りに、今年はじめて参戦してきた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_569" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/11/DSC52691-300x199.jpg" alt="Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris" title="_DSC5269" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-569" /><p class="wp-caption-text">Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris</p></div>現在のパリ市長はよっぽどオモシロ好きらしい。<br />
　『リベルテ（自由）に生きる』と題された自伝でも知られるベルトラン・ドラノエ市長は、来年還暦を迎えるチュニジア生まれのリベラルな政治家。毎年６月の最終土曜日に催されるゲイ・パレードで、先陣を切って堂々闊歩するオープンな同性愛者としても知られ、01年に保守系のジャン・チベリ氏に代わりパリ市長に選出されて以後、さまざまなオモシロ企画を実現させている。</p>
<p>　たとえばパリ市内全域を１日１ユーロで利用できる公共自転車レンタルサービス「ヴェリブ」。あるいはセーヌ川沿いの道路を夏の盛りに完全封鎖し人口海浜をつくりあげてしまう「パリ・プラージュ」。当初は「いったい誰がセーヌ川沿いでビキニを着るんだ」と白眼視する人もいたものの、以外や以外、これら企画は多くのパリ市民に受け入れられ予想以上に好評をはくしている。</p>
<p>　なかでもドラノエ市長の祭り好きな血がじかに反映されている企画が、毎年10月の最初の週末に行われ、今年で８回目をむかえる「ニュイ・ブランシュ」。直訳するなら白夜祭と題されたこの企画は、その名のとおり、パリ市内が夜７時から翌朝７時まで夜っぴいて祭り騒ぎをくりひろげる催し。ノートルダム寺院からルクセンブール公園、パリ市立劇場からスーパーマーケットＭｏｎｏｐｒｉｘの店内にいたるまで、すでに肌寒い初秋のパリのいたる場所で、世界中の現代アーティストたちによる作品が無料で展示されることになる。</p>
<p><em>写真：カナダ人アーティスト、ミシェル・ド・ブロワン(Michel de Broin)による屋外インスタレーション作品『La Maitresse de la Tour Eiffel（エッフェル塔の愛人)』。ルクセンブール公園に巨大クレーンでミラーボールを吊り下げ、パリの夜をまば ゆい光の空間に変えていた。</em></p>
]]></content:encoded>
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		<title>Travelogue イニシュマン島の静寂</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Oct 2009 17:24:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[極東から極西へ、アイルランドの西の果て、アラン諸島へ旅してきた。芝生が生える音が聞こえるかと思えるほど静かで、虚勢や見栄や尊称といった対外的な利益のためにおこる争いごとから無縁に穏やか、ただ人々が太陽が昇ってから沈むまでの時間を丁寧にすごしているだけの僻地の島。否応なく「Ｌｉｖｉｎｇ」という単語の意味をあらためて考えさせられざるをえない、純精神的に充実した旅をすごすことができた。旅の初日に降下したのは、三島のなかでも約１６０人ともっとも人口の少ないイニシュマン島だ。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/10/DSCF0584-150x150.jpg" alt="DSCF0584" title="DSCF0584" width="150" height="150" class="alignleft size-thumbnail wp-image-498" />　極東から極西へ、アイルランドの西の果て、アラン諸島へ旅してきた。<br />
　芝生が生える音が聞こえるかと思えるほど静かであり、虚勢や見栄や尊称といった対外的な利益のためにおこる争いごとから無縁に穏やか。ただ人々が太陽が昇ってから沈むまでの時間を丁寧にすごしているだけの僻地の島。否応なく「Ｌｉｖｉｎｇ」という単語の意味をあらためて考えさせられざるをえない、純精神的に充実した旅をすごすことができた。</p>
<p>　さてこの清心な感覚がすっかり自分の身から抜け落ちてしまわぬうちに、文字に書きおこしておこうとおもう。</p>
<p>　まずは島の概要から。アラン諸島とは、イニシュモア（モア＝大きな島）、イニシュマン（マン＝真ん中の島）、イニシュエア（エア＝東の島）の三島からなる小島群。「ゲールタクト」という現在ではアイルランドでたった２％しか残存しないゲール語使用地域として有名で、喉の奥で微かにうめくような持続低音を響かせる「グラマハァグットゥ」という鈍色の挨拶があちこちで交わされている。旅の初日に降下したのは、三島のなかでも約１６０人ともっとも人口の少ないイニシュマン島。本土コネマラ空港からエアー・アランアイランズの小型プロペラ機でたった７分の飛行時間で、「飛ぶ」というよりノミのように「撥ねて落ちる」感覚で岩盤の大地に降りたった。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Avignon Report フェデリコ・レオン / Yo en el Futuro</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Aug 2009 17:41:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Theatre]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[右、左、右。南仏地方では出会いがしらに互いの頬に３度キスをする。まるで甘酸っぱいスグリをついばむ小鳥のように、唇をすぼめてチュチュッと耳元で音を発する。私はこの行為がとても好き。ただの儀礼的な会釈や、熱の入らぬ握手では伝わらない、相手の温度を体で味わうことができるから。気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく本格的に復路をたどりはじめる午後五時。タンチュリー通り（直訳するとドライクリーニング通り）12番地にある劇場＜サル・ブノワXII＞でも、劇場前で、友人知人と待ち合わせをする観客たちがこのキスの挨拶を繰り返していた。今日の上演演目は３４歳の若きアルゼンチンの作家／演出家／映像作家フェデリコ・レオンによる新作芝居『Yo en el Futuro (Me in the Future)』。彼はここで、プルーストのごとき「時と記憶」の物語を体感で観客に伝えてみせようとする。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_363" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/08/Yo-en-el-Futuro-150x150.jpg" alt="Photo ⓒ Wim Pannecoucke" title="Yo en el Futuro" width="150" height="150" class="size-thumbnail wp-image-363" /><p class="wp-caption-text">Photo ⓒ Wim Pannecoucke</p></div>右、左、右。南仏地方では出会いがしらに互いの頬に３度キスをする。まるで甘酸っぱいスグリをついばむ小鳥のように、唇をすぼめてチュチュッと耳元で音を発する。私はこの行為がとても好き。ただの儀礼的な会釈や、熱の入らぬ握手では伝わらない、相手の温度を体で味わうことができるから。たとえば、挨拶以上の意図があるのではと訝んてしまうほど髭面をぎゅぎゅっと押しつけてくる中年男性の「ボンジュール」、以前とまったく同じ爽やかなマンダリンのロー・ド・パルファンが心を躍らせる陽気なマダムの「サヴァ（元気）？」、あるいは頬と頬をくっつけずに音だけでささっと済ませてしまう既に距離感のある「オールヴォワール（さよなら）」。人と人とが接触する、そのほんの刹那の瞬間に、視覚や聴覚だけでは伝わらない無限の情報が行き来する。</p>
<p>　気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく本格的に復路をたどりはじめる午後５時。タンチュリー通り（直訳するとドライクリーニング通り）12番地にある劇場＜サル・ブノワXII＞でも、劇場前で、友人知人と待ち合わせをする観客たちがこのキスの挨拶を繰り返していた。昨日会った二人かもしれない、あるいは二年前に会った二人かもしれない。そのキスの温度から絆の行方を読みとろうとする。だが日本人の私の目から見ると、二重あごの太っちょなおばちゃんも、慣れない半ズボンから痩せた足を覗かせるインテリ紳士も、表面的には相手を同じように愛おしそうに抱いてキスをしている。やはり「見る」だけでは関係性の温度はわからないのだ。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Travelogue ボンヴィヴァンたちの時間</title>
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		<pubDate>Thu, 30 Jul 2009 18:44:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[陽が昇ると、この街では中世の彼方からモーニングコールが届く。最初は重たいふたつの低音、そしてそれにつづく朗らかな軽音。居候先から目と鼻の先にあるパレ・デ・パップ（法王庁宮殿）の天を貫くような鐘楼から、八時頃、穏やかな鐘の音が、半開きにしたペルスィエンヌ（鎧戸）の向こうから涼風に乗りたゆたってくる。現代の多くのアラーム時計は、分針がカチリと起床時刻に重なると、睡眠時の心拍数にまったくあわぬ、けたたましい油蝉のようなデジタル音を放ちはじめる。非人間的に「起きろ、出かけろ、働け」とせかされているようで気づくと朝から眉をひそめていたりする。だがアヴィニヨンの鐘の音はこれとは異なり実に心穏やか。まるで明け方に瞼を閉じたまま受ける恋人の接吻のように、ささやかに、でも確実に、口角が自然とあがる幸せな目覚めを届けてくれる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/08/DSCF0553-150x150.jpg" alt="DSCF0553" title="DSCF0553" width="150" height="150" class="alignleft size-thumbnail wp-image-294" />陽が昇ると、この街では中世の彼方からモーニングコールが届く。最初は重たいふたつの低音、そしてそれにつづく朗らかな軽音。居候先から目と鼻の先にあるパレ・デ・パップ（法王庁宮殿）の天を貫くような鐘楼から、八時頃、穏やかな鐘の音が、半開きにしたペルスィエンヌ（鎧戸）の向こうから涼風に乗りたゆたってくる。現代の多くのアラーム時計は、分針がカチリと起床時刻に重なると、睡眠時の心拍数にまったくあわぬ、けたたましい油蝉のようなデジタル音を放ちはじめる。非人間的に「起きろ、出かけろ、働け」とせかされているようで気づくと朝から眉をひそめていたりする。だがアヴィニヨンの鐘の音はこれとは異なり実に心穏やか。まるで明け方に瞼を閉じたまま受ける恋人の接吻のように、ささやかに、でも確実に、口角が自然とあがる幸せな目覚めを届けてくれる。</p>
<p>　まず最初は遠慮がちに、睡りにまどろむ重たい無意識を低い囁声で覚醒する。そして少し間をおいたのち、カラコロと弾む朗らかな子供の笑い声のような鐘の音がつづく。十四世紀に最も栄えたというこの街のかつての庶民たちもおそらく、同じようにこの音色に包まれて、爽やかな朝を迎えたのだろう。大都市東京の高速歩調とはあきらかに異なる、ゆったりアンダンテな一日がはじまる。</p>
<p>「ボンジュール、イル・フェ・トレ・ボー」おはよう、今日はとってもいい天気ね。<br />
　昨日会ったばかりだというのに、まるで旧知の仲の友達のように陽気に話しかけてくる居候先のアパルトマンの家主マヤ。はにかんだ笑顔が小さなパンジーのように魅力的な彼女はまだ二十四歳で、毎朝、街の鐘の音ともに目覚め、さっとシャワーを浴びて塗れた栗髪に櫛をとおし、ノーメイクで車に乗り込み近所の仕事場に独りで向かう。背負うリュックには仕事道具一式とともに、習い始めたピアノの五線譜が無造作につっこまれる。<br />
「家は好きに使っていいからね」。そう言ってバタンと彼女がドアを後ろ手に閉めたのちも、私はまだ、真っ白なシーツにぬくぬくとくるまり、塵さえも美しく見せる朝陽の恩恵に授かっていたいと怠惰に思う。足先が痺れるほど大きな伸びをひとつ、のち光と静寂。さてと今日は何をしようか。どんな舞台を観に行こうか。そんな暢気な思考にベッドのなかで眠気まじりに浸っていると、隣家から微かに、気怠いラヴェルの『ボレロ』の旋律が聞こえてくる。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Travelogue ピュターン！</title>
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		<pubDate>Thu, 18 Jun 2009 14:06:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>
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		<description><![CDATA[一週間もつづく夜雨で街路樹さえ風邪をこじらせそうなパリの晩秋。天候の悪化と平衡してみるみる機嫌も悪化していく出不精なパリジャンたちを尻目に、東京通勤速度の早足で、パリ四区シャトレ広場のテアトル・ド・ラ・ヴィルへ向かう。夜八時。 ピナ・バウシュ、ヤン・ファーブル、ウィリアム・フォーサイスといった名だたる振付家の世界の交叉点でもある百五十年近い歴史を持つ名門劇場に足を踏み入れる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/06/DSCF0531-150x150.jpg" alt="DSCF0531" title="DSCF0531" width="150" height="150" class="alignleft size-thumbnail wp-image-149" />一週間もつづく夜雨で街路樹さえ風邪をこじらせそうなパリの晩秋。天候の悪化と平衡してみるみる機嫌も悪化していく出不精なパリジャンたちを尻目に、東京通勤速度の早足で、パリ四区シャトレ広場のテアトル・ド・ラ・ヴィルへ向かう。夜八時。 ピナ・バウシュ、ヤン・ファーブル、ウィリアム・フォーサイスといった名だたる振付家の世界の交叉点でもある百五十年近い歴史を持つ名門劇場に足を踏み入れる。私にとっては、毎年、数回は通うなじみの小屋であり、また数年前に取材相手の山海塾・天児牛大さんに、楽屋から稽古場から前世紀初頭に故サラ・ベルナールが根城としたシャンブルまで、丁寧なガイド付きでつぶさに案内してもらった記憶も愉しい仕事場でもある。 この劇場を久方ぶりに訪れ、気づけば、鬱屈と退屈を持てあますパリの街のけだるさは心から吹き飛んでいる。スッと衿を正したくなるような清潔さで心が充たされている。世界のどこであれ劇場という名の神聖な磁場は、乱調なリズムに堕しかねない、私の心に秩序を取り戻してくれる。</p>
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