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	<title>ARTicle &#187; Theatre</title>
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	<description>Theatre Travelogue by Journalist Kyoko Iwaki</description>
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		<title>Report / 太陽劇団、ピーター・ブルック、ジンガロ</title>
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		<pubDate>Sat, 30 Apr 2011 14:46:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Theatre]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[ピーター・ブルック、太陽劇団のムヌーシュキン、ジンガロのバルバタス。 彼らは揃って親日家なことも幸いし、過去に豊かな演劇体験を極東の島国まで届けてくれた。だが厳密に語るなら、それはクリエイション全体の、ほんの片鱗にも満たないかもしれない。パリとその周辺にある個々の常設劇場に足を運び、そこでの体験にコミットすることではじめて、彼らの総合芸術の真価はわかる。落葉に濡れる初冬のパリ。巨匠たちの三つの常設劇場を探訪した。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_852" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2011/04/ML-MG_6696-300x200.jpg" alt="© Michèle Laurent, 2010" title="ML-MG_6696" width="300" height="200" class="size-medium wp-image-852" /><p class="wp-caption-text">© Michèle Laurent, 2010</p></div>太陽劇団<em>『愚望に溺れる難破者たち』</em><br />
＠ラ・カルトゥシュリー<br />
【原作】ジュール・ヴェルヌ<br />
【作】エレーヌ・シスー<br />
【演出】アリアーヌ・ムヌーシュキン、太陽劇団</p>
<p>ジンガロ<em>『DARSHAN』</em><br />
＠ジンガロ・シアター<br />
【構成・演出】バルバタス</p>
<p>ピーター・ブルック演出<em>『ある魔笛』</em><br />
＠ブッフ・デュ・ノール劇場<br />
【ピアノ演奏】フランク・クラフチク</p>
<p></bl><br />
はじめに訪れたのはムヌーシュキン率いる太陽劇団の＜ラ・カルトゥシュリー＞。直訳すると火薬庫という意味のこの場所は、19世紀にフランス軍に捨てられた廃屋武器工場を役者みずからカナトコを振りあげ３週間で蘇らせたことにはじまる。1970年開場当初、こんな郊外に「客が来るのか……」といぶかしむ向きもあったというが、現在では敷地内に太陽劇団のほか四つの劇場と、演劇学校ＡＲＴＡ、カロリン・カールソンのアトリエが年中客足のたえぬ「劇場集落」を作りあげている。</p>
<p>メトロ１番線の終着駅から無料送迎バスに乗り換え、ヴァンセンヌの森のカルトゥシュリーに辿りつく。と、今回の演目『Les Naufragés du Fol Espoir（愚望に溺れる難破者たち）』のためにお色直しされた演劇小屋が目に飛び込む。飾り文字、色電球———まさに今回の舞台設定となる、20世紀初頭のギャンゲット(大衆キャバレー小屋)そのものだ。</p>
<p>ドンドンドンドンドン！　 開演１時間前に扉の内側から快音が響く。ムヌーシュキン自身による「開場の儀式」だ。この音ののち観客は 「accueillis＝もてなし」の精神で場内に迎え入れられる。最初の間は、天井高６メートルの木造ロビー。役者と観客がまぜこぜに行き来する室内で、ゆったり手料理を堪能できる。次の部屋は、役者の控えの間。遠慮がちに刺繍レースのカーテンを開けると彼らの化粧風景を覗き見できる。さらに奥に進むと、ようやく演技空間が。この14m×14mの舞台面で、じつに10ヶ月に及ぶコレクティブ(ムヌーシュキンが取る集団創作の方法)稽古で完成した３時間45分の大作が上演される。</p>
<p>新作の主題は、一縷の希望をもち未来に賭したヨーロッパ人たちの愚かなまでに勇敢な歴史譚。1914年。サラエボ事件が勃発し、第一次大戦の火蓋が切られたまさにその日に、パリはずれのギャンゲット店「Fol Espoir」の屋根裏で、社会主義の映画監督がジュール・ヴェルヌの『ジョナサン号の難破者たち』を土台に、自主映画を撮りはじめるところから始まる。</p>
<p>本作では1914年現在の出来事と、無声映画の劇中劇が併行して演じられる。たとえば第一場では、ハプスブルク帝国皇太子ルドルフ役を、現代では共同映画監督に扮する役者がクチパクの無声演技で仰々しく演じぬく。場面に登場しない人々は、風を起こし、照明をあて、画面に見切れないよう突っ伏して美術を支え、ＳＦＸ出現以前のけなげな人力裏方作業にまわる。</p>
<p>最終場、ムヌーシュキンはフランスの政治的英雄ジャン・ジョレスの「自由を基盤に、平等を手段に、友愛を目的に生きよう」という言葉を引用する。そして無声映画の登場人物たちも、第一次大戦中の映画人たちも、それを見る我々現代人も、あいもかわらず「愚かなユートピア願望」を目指してもがいているのかもしれない――、と過去と現在をつなげて幕をおろす。欧州史の延長に我々の「生」が確認できる、社会派ヒューマニストのムヌーシュキンらしい傑作史劇だ。</p>
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		<title>Report / フェデリコ・レオン「未来のわたし」</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Nov 2010 07:07:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の過去は、必ず美化される。ある一瞬の笑顔が時のなかで倍加され、他の無表情で退屈な時間を呑みこんでしまう。若きアルゼンチン人演出家フェデリコ・レオンは、この甘やかに倍加された記憶時間に観客を誘ってみせる。そして特別な一瞬が、一時間にも、一生にも感じられる時空を紡いでいく。京都国際舞台芸術際で上演されたアルゼンチンの若き演出家の最新作への劇評。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/12/pgm-10-1-300x300.jpg" alt="pgm-10-1" title="pgm-10-1" width="300" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-806" />人間の過去は、必ず美化される。ある一瞬の笑顔が時のなかで倍加され、他の無表情で退屈な時間を呑みこんでしまう。若きアルゼンチン人演出家フェデリコ・レオンは、この甘やかに倍加された記憶時間に観客を誘ってみせる。そして特別な一瞬が、一時間にも、一生にも感じられる時空を紡いでいく。</p>
<p>気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく天頂から復路を辿りはじめる、七月の午後五時。タンチュリー通り十二番地にある「Salle Beno?t-XII」に足を踏み入れると、一瞬にして南仏のぎらつく太陽時間とは異なる時を体感する。舞台上手では老年の女性が独りピアノ曲を演奏中。遙か昔の夕暮れどきに、どこかで耳にしたようなノスタルジックな旋律だ。演出家は、その音色ひとつでプルーストのごとき「時と記憶」の物語のはじまりを予感させる。 </p>
<p>客席が徐々に溶暗していくと、舞台上に10代の男女、30代の男女、70代の男女の６人がひとりまたひとりと登場する。男性は男性、女性は女性で、それぞれ似かよった装い。つまり観客は、彼３人と彼女３人を、同一人物の過去・現在・未来の姿と見なすことができる。あるいはまた彼らを、血縁でつながるひとつの大家族と捉えることもできる。いずれにしろ後方スクリーンに投影される「想い出のアルバム」からも理解されるように、演出家はあきらかにここで、ある特別な時間芸術を彫塑しようとしている。</p>
<p>あどけない少年と少女の、軽いファーストキスの刹那。その映像がいくども舞台上でリピートされる。その小さなキスの記憶は心で想起されるたびに強められ、何十年という時のあいだに無限の重みを与えられていく。10代の子どもと70代の老夫婦では、同じ過去が異なる記憶になる。この記憶の錯覚作業を演出家は舞台上で多用していく。ロジックや知識といった意味記憶というより、キスや笑いや抱擁といった強烈な情動記憶を、ほぼセリフのない45分の作品のなかで喚起していく。そして気づけば観客は、笑顔ばかりが集められた自分の家族アルバムを眺めているときのように、幸せな記憶を想起して「ふふ」と小さく微笑んでいる。</p>
<p>人生とは辛いものだ。だからこそ人は稀にしかない幸せの記憶の尾をなるべく長引かせることで、どうにか日々の笑顔を保っていく。そんなすべてが錯覚かもしれない人生の残酷な幸福感を、フェデリコ・レオンは教えてくれる。</p>
<p><em>京都国際舞台芸術際 KYOKO EXPERIMENT 2010 公式パンフレット掲載</em></p>
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		<title>Interview ジゼル・ヴィエンヌ / 演出家・振付家・人形作家</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Aug 2010 15:21:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[「これはダンス？」と思うとセリフが語られ「演劇？」と思うとインスタレーションのごとく沈黙する。さらに舞台上で引用される、バタイユやニーチェによる強烈哲学に思考を馳せていると、いきなり劇場全体が真っ白な濃霧に襲われる。まさに思考と体感の極限体験。なるほどヤン・ファーブルに見初められたアーティストだと聞いて納得がいった。現代芸術界の巨匠が、ダンスとも演劇ともアートともつかぬ先鋭作品を創作するのと同様、若きジゼル・ヴィエンヌもまた非常にジャンル越境的な舞台を創造するからだ。７月のアヴィニヨン演劇祭にて新作『This is how you will disappear(こうしておまえは消え去る)』を発表した彼女に、現地でインタビューを行った。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/10/M2538-300x176.jpg" alt="M2538" title="M2538" width="300" height="176" class="alignleft size-medium wp-image-762" />—— この秋、初めて東京で作品を上演されます。あなたのことを知らない観客も日本にはまだいますので、まずは基本的な経歴から伺わせてください。あなたは演出家として非常にユニークな経歴をお持ちですね。大学では演劇ではなく哲学を専攻され、その後、フランス国立高等人形劇芸術学院で学ばれます。なぜこのような進路を選ばれたのでしょう。</p>
<p>GV　私は若いころから非常に多くのことに情熱をそそいできました。文学、哲学、音楽、ヴィジュアルアート……ほかにもありますが、主だったものはこれらです。そしていつも私は、文学と音楽とヴィジュアルアートを融合する最適な手段は人形劇だと思いつづけてきました。別に子供のころから人形劇をたくさん見ていたわけではありません。ただ私自身が、そのような人形劇を作れると漠然と信じてきたのです。それで国立高等人形劇芸術学院への進学を志したわけですが、まさか合格するとは思いませんでした。それまでの私は、ヴィジュアルアーティストである母の影響でハンス・ベルメールやアネット・メサジェなどの創作人形に触れていたとはいえ、大学ではまったく関係のない哲学や音楽を勉強していたわけですからね。でも運良くこの教育機関に受け入れられ、私は初めて本格的に演劇や人形劇を学ぶことになりました。なかでも当時見た淡路人形座の文楽にはとても感銘を受けました。私がその頃から試みようとしていた、テキストと音楽とムーヴメントの相互性が、そこではすでに洗練されたかたちで完成されていたからです。</p>
<p>—— 卒業後あなたは、生身のからだと人工物である人形、その双方を素材として振付家・演出家・ヴィジュアルアーティストとして創作を始められます。そして６年後の05年に『I Apologize』『Une belle enfant blonde』をたずさえアヴィニヨン演劇祭に登場されます。 </p>
<p>GV　今年でアヴィニヨンは三度目になりますが、初めて招聘されたとき私はまだ29歳で、いまと同様かなり過激な作品をつくりつづけていたため、このような歴史あるフェスティバルに参加するのは無理だろうと思いこんでいました。けれど当時アソシエート・アーティストを務めていたヤン・ファーブルが私のことを強く押してくださり、芸術監督のヴァンサン・ボードリエールにも気に入ってもらい、私はアヴィニヨン・デビューを飾ることができたのです。この幸運にはとても感謝しています。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Interview 蜷川幸雄 / 演出家</title>
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		<pubDate>Fri, 07 May 2010 11:34:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[日本を代表する演出家である蜷川幸雄。東京にいると彼の芝居が毎晩上演されているような錯覚を覚える。それほど蜷川は、キャリアが四十年を超す今も、驚異的な多作体制を崩さない。また量が過剰なら質も過激。この演出家はつねに、人の足場を揺るがすような、熾烈な劇世界の台風に観客を巻きこんできた。その刺激によって日本の演劇界が、どれほど大きく変容してきたことか。まさに彼の存在なくしては、今の日本の演劇界はありえない。好奇心旺盛で勉強熱心、照れ性で誠実で、誰よりも自分に厳しい。年中無休で火を吹きつづける創造のシリンダーを原動力に、今日も、創造の現場に立ち向かう。その過激な半生の、足跡を追う。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/05/ninagawa1-212x300.jpg" alt="ninagawa(1)" title="ninagawa(1)" width="212" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-698" /><br />
さいたま芸術劇場の取材室。洋間に音もなく浮かぶ埃が、冬陽の粒子と戯れる。そのゆったりと宙を泳ぐ光の生態たちが、中央に座る演出家に触れるや、鋭角な乱反射をおこし全方位にはじけちる。</p>
<p>蜷川幸雄、七十三歳。「いまだに俺は日溜まりでぬくぬくっていうのが好きじゃないんだ」と、今もこの劇場内で四つのプロジェクトに同時にたずさわる。ありあまる過激さ、行動力、好奇心、それにその奥に底流する潔癖な羞恥心。蜷川の中核をなす気質は今も昔も変わらない。この劇場から車で数十分の場所にある、埼玉県川口市にある洋服屋の息子として生まれたときから、彼は、自分のうちに眠る潔癖な自意識を逆噴射させるかたちで激烈に人生を駆けぬけてきた。幼少期のころからつねに蜷川少年のまわりには、のどかな冬陽からはかけはなれた、疾走する生命力が氾濫していた。</p>
<p>「終戦直後、まだ白米が珍しい時代。そんな混乱のさなかに、富山から上京してきた貧しい男女であるうちの両親は、無名の画家や学者たちを集め自宅で援助していた。気づくと二階の鴨居には売れない画家の掛け軸や色紙がずらりと並べられ、それを近所の少し裕福な人たちが入札して買っていく。と同時に、うちはオートレースのバイクオーナーもやっていたから。その賞金狙いの博打にはじまり、花札に麻雀に、とあらゆる賭事も行われていた。だから片一方に芸術があって、もう片方に博打があって。両親がいて、子供が五人いて、お手伝いさんと、職人さんと、近所の人の出入りがあって。『元気かバカ！』なんていう、地元特有の照れかくしな挨拶が日々飛び交っていた。本当にめちゃくちゃな家。しょっちゅう、人がわぁわぁやってた」</p>
<p>　兄弟は、女ひとりに男四人。母親はあえてその子供たちのなかから「芸術に興味をもちそうだった」幸雄を選び、歌舞伎やオペラや文楽に連れていく。母のお気に入りは伝説的な文楽の太夫・山城少掾。放課後、小学校の校庭を母親がいそいそと横切ってくると「ああ、今日はどこに連れていかれるのかな」と思うように。次第に、少年はめくるめく芸術的色彩のなかに身をひたす愉しみを覚えていく。旺盛な知識欲をふくらませ、中学高校は東京の開成へ。そこでドストエフスキー、トルストイ、漱石、鴎外、太宰といった和洋の基礎文学教養を身につけ、東京芸術大学の油絵科を受験する。結果は、不合格。人生のとば口での挫折に青年は悩む。</p>
<p>だがそれも束の間。彼は突如、劇団青俳の研究生試験を受ける決意をする。俳優になりたいと思ったことはない。ただ彼のなかでの不可知な力が、そこに飛びこめと背中を押した。高校を卒業したての十九の春。何やら説明のつかぬに引力にひかれ、蜷川は、生涯を賭すことになる演劇の世界へ足を踏み入れていった。</p>
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		<title>Interview 野田秀樹 / 劇作家・演出家</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2010 11:15:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[野田秀樹のことを茶化して「大人げない」という人たちがいる。けどおそらくこの非難は、的外れだ。なぜなら野田は大人「げ」ないのでなく、大人「で」ないのだ。彼のなかでは間違いなくいまだに、１日は４０時間あり、体重は２０キロであり、３歳児の学習臨界期を越えていない。そして彼はその自由自在な時間と重力と脳内速度を駆使して、天衣無縫の妄想世界を舞台上に壮大に織りなす。今も昔も演劇界の最前線をひとり切り拓いてきた真正の麒麟児は、観客を、大人でない少年時間へといざなう。くらくらと目眩のするような、言葉の金斗雲に乗せて。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/05/Noda-222x300.jpg" alt="Noda" title="Noda" width="222" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-689" />少年は冒険に出る。足先がまだ冷たい、もぐりたての布団の中で。夢とうつつの境目の薄ぼんやりとした靄の中で。彼は布団の重たさをずしりと体に感じつつ、睡魔にたゆたう内気な思考をひとっとびに彼方まで飛ばすーー古代の邪馬台国に、神話期のギリシャに、天空世界の火事場に、未来戦争のロマンにーー。その小さな頭でぐるぐる考える夢想世界は果てしなくつづき「秀樹、いいかげんに寝なさい！」という一言により長崎の閨に引き戻されるまで、少年は世界一の冒険者でいられる。</p>
<p>「子供のころ眠る前の時間に、ありとあらゆる冒険をした」</p>
<p>　そう言って目の前の野田秀樹は、どこかでまだ、その少年期の眠りから醒めていないような愉快な表情をむける。いまでは日本を代表する劇作家・演出家のひとり。英国進出も果たし、多摩美術大学の教授となり、東京芸術劇場の芸術監督という肩書きをも担う身となった。だがそれらはどれも野田の恐れを知らぬ数々の冒険に対する「事後的な勲章」。おそらく当の本人は、長崎の寝床で妄想をふくらましていたあの頃と変わらぬ純粋さで、今もただ無手勝流に自在に遊ぼうとしているのだ。無論、背負う責務やかかる期待はかつてとは比べものにならない。だがひとたび創造のスイッチが入ると、世間や常識を度外視した少年の大冒険が今でもとたんに始まるのだ。</p>
<p>「だからいまだに、現実よりも妄想が勝っちゃうことがある。勝手に自分のなかで妄想が広がって、あるとき突然、ある人を嫌っていたり。たちが悪いよね(笑)」</p>
<p>　そうなると彼の信じるリアリティは「劇誌」と呼ばれる大学ノートにしたためられる小さな活字に宿ってくる。路上で見たこと、雑談で感じたこと、小説世界から想像したこと。それらがすべてごった煮となり、一冊のノートのなかで手応えのある現実と化していく。筆圧の強度と比例するかたちで、鉛筆世界の現実感もふくよかに広がっていくのだ。要するにいつであれ野田にとっては、自分で綴る無数の活字こそが、現実世界の起こりであり中心。妄想は、活字に留められた時点である種の現実としてゆらめきたつ。しかも面白いことにこの創造の病は、なにも劇作家という肩書きを得てから発症したものではない。まだ鉛筆を持つ手もおぼつかぬ園児であったころから、彼の活字に対する強迫的な執着は早くも始まっていた。書くことを習ってもいないのに、とにかく字が書きたくてしょうがない。そんな得たいの知れぬ魂の疼きが、歴然とそこにはあった。</p>
<p>「すごくよく覚えているのが、長崎から東京に引っ越して、まだ幼稚園に通い始めのころ。字が書けないのにすっごい字を書きたいと思った覚えがある。それで必死に字のマネをして何かを書きつけてみたりね。あとこーいう言葉があればいいのになー、って子供ながらに頭を悩ませた記憶もある。つまり自分のなかにある特定の感情をどうにかして言葉にしたいんだけど。まだ知識量が圧倒的に足りないから(笑)、その思いに言葉がフィットしない。それでものすごくいらいらして鉛筆を握りしめていた覚えもある。でも、とにかく字を書くことは記憶のある限り好きでしたね。俺の場合は最初からずっとそうだった。絵を書くことはほとんどなくて、最初から字だった」</p>
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		<title>Interview 岩松了 / 劇作家・演出家</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Feb 2010 13:55:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[劇作家・岩松了の芝居では、個々の登場人物が幾億光年へだてた惑星のようにぽつねんと孤独に浮いている。「人と人とは言葉によって完璧に理解しあえる」なんて、幻想にはきちんと折り合いをつけて。それでも舞台上の人々は、性懲りもなく他者への２ミリの理解を求め。臆病に、必死に、言葉を交わす。だから彼の芝居では「えっ」なんていう小さなセリフの奥底に、大河のごとき感情の濁流が流れていたりする。いわば「えっ」と言葉を呑みこんだその人間の体にこそ、岩松戯曲の真髄はあるのだ。

現在までつづく、某演劇雑誌でのロングインタビュー第１弾。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/02/iwamatu_ryo-219x300.jpg" alt="iwamatu_ryo" title="iwamatu_ryo" width="219" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-658" />子供は見たままを言葉にする生き物だ。<br />
ポストが赤い、空が青い、たけちゃんが泣いちゃった。五歳児の言葉には、視覚と言語の一本道があるだけ。まったく迷いがなくすがすがしい。だが子供が秋空を仰いで「青すぎる」とつぶやいたらどうだろう。まずそんな子供がいたら気味が悪いし、いったいそのような生理にいたるまで、どんな感情的変節があったのかその子の心理を深読みしたくなる。</p>
<p>劇作家・岩松了のとる作劇法がまさにこれ。「！」と息を呑むような意想外の言葉を登場人物に吐かせておき、その深意をふかぶかと観客に読みこませる。つまり役者が口にするセリフをただ追っていけば「お話が楽しめますよ」という五歳児の一本道のような短絡思考はここにはなく、観客はつねに、セリフの裏にある女の枝毛のように複雑な心理をくみとっていかねばならないのだ。それゆえ岩松の芝居はたまに「わからない」とぼやかれたりする。とくに、言葉＝感情だと信じこんでいる無邪気な大人たちに。</p>
<p>　もちろん、そんな岩松にも子供時代はあった。しかも彼は別に空を見上げて「青すぎる」とつぶやくような変節少年ではなく、長崎・佐世保の野っぱらを駆けまわるいたって普通の男の子であった。六人兄弟の末っ子で名前は「了」。了君は意外なことにスポーツ少年であったという。</p>
<p>「今でもスポーツは大好きなんですけど、僕、中高とずっと野球部なんですよ。それに中学時代なんて３５０人以上いる生徒のなかでマラソンの成績が４番で。駅伝の選手になったりもして。放課後になると毎日毎日、校庭のトラックを何周も走りこんでいた。疲れ果ててもうダメだて思ったときに、隣で併走する先生に『岩松まだこっからだろー！』って叫ばれたりしてね。そんな熱い思い出があります。だから実は僕、今でこそ作家という職業をやってますけど。小学校のころは本を一冊も読んだことがないような少年だったんですよ」</p>
<p>　文学が身近になかったわけではない。むしろ岩松の母は強い文学癖があり、幼き了少年に対しつね日頃から「本を読め」とけしかけてきた。だが母親に「やれ」と命令されて「はい」と従順に応えるような男の子はめったにいない。岩松もその例に漏れず、母にやたらと読め読めと強制されるのがわずらわしく、野っぱらを、校庭を、野球場を日々駆けまわりつづけた。だが中学三年の頃から、彼のなかで何かが変容しはじめる。友情、恋愛、受験、未来。少年期と青年期の端境に立たされた岩松は、人生には野原を走る以外にも考えねばならないことがあるらしい、という崇高な疑念にぶちあたる。そしてふと気づけば、あれほど興味のなかった文学に目覚めていた。</p>
<p>「中学三年から高校を卒業するあたりまでは、とにかく文学に憧れつづけた時間でした。そのときいちばん感動したの川端康成の『伊豆の踊子』。と、夏目漱石。とにかく本を読まなければ人生はわからない、と思って手当たり次第に本を貪った。あと文学に浸ったわけには、受験勉強から逃げたい、という動機もあった。僕は勉強ができたので高校の先生にやたらと可愛いがられて。そいつらが東大行け東大行け、ってうるさかったんですよ。それが本当に嫌でね。僕は受験勉強するやつなんてバカだと思ってましたから。とにかく本を読んで、野球部に時間を費やして、受験から遠ざかっていた。ただ、無条件に東京に行きたいという衝動はあったんで。上京する理由づけのために大学には行きたくて、一年浪人して東京外国語大学のロシア語科に入学することにしました」</p>
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		<title>Interview ロメオ・カステルッチ / 演出家</title>
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		<pubDate>Thu, 10 Dec 2009 17:37:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
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		<description><![CDATA[現代演劇界における異端の創造者。イタリア人演出家ロメオ・カステルッチには、アーティストというより「創造者」という称号が似つかわしい。それほど彼の生み出す作品群は、たった独りの人間によるものだとは思えぬほど圧倒的な知的精度とヴィジュアルイメージで観客に迫りくる。なかでも今回日本で上演されるダンテの『神曲』三部作は、鬼気迫るカステルッチの才能をみせつける大作群。この舞台に関して演出家本人に、今年４月ロンドンで取材を行った。強靱なロジックに裏打ちされた発言が、この創造者の尋常ならざる特異さをあらわしている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/12/due-300x225.jpg" alt="Romeo Castellucci" title="Romeo Castellucci" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-608" /></p>
<p>——今回、日本で上演されるダンテの『神曲』三部作（地獄篇・煉獄篇・天国篇）は08年度のアヴィニヨン演劇祭で世界初演され絶賛された作品です。地獄篇がヴィジュアルシアター、煉獄篇が物語演劇、天国篇がインスタレーションと異なるかたちで発表されました。なぜこのような創作手法をとられたのでしょうか。<br />
ロメオ・カステルッチ（以下ＲＣ）：ひとつ言えることは、私はここで『神曲』の解説を試みようとしたわけではないということです。ダンテはあまりにも偉大であり、あまりにもその作品が壮大なため、それそのものを形にしようとすることがまず不可能。そこで私はダンテに挑むにあたり、ダンテの本を閉じることから始めました。そしてこのイタリア語の父とされる国民的詩人が、その想像力によりこの世に存在しない世界をつむぎあげたのと同様に、私も自分の想像力を頼りに創作の旅路に挑むことにしたのです。そして最終的には、インフェルノ（地獄）、プルガトリオ（煉獄）、パラディソ（天国）という三つの言葉が象徴する「人間の状態」を描くことに決めました。とはいえ地獄、煉獄、天国は、個々人のなかに異なるかたちで存在します。また個々の生活のなかでも異なる時間に存在します。こうした理由からおのずと、三つの作品は別々の手法でかたちづくられていくことになりました。<br />
</br><br />
</br><br />
——『地獄篇』では名もなき無数の人々が登場すると共に、アンディ・ウォーホールが現れます。なぜウォーホールなのでしょう？<br />
ＲＣ：ダンテは地獄の案内人に古代ローマの詩人ウェルギリウスを選びましたが、私はウォーホールを選んだのです。なぜなら彼は、今日の芸術の「匿名性・無名性」という素晴らしい概念を発明した人だから。たとえば彼は自作において、毛沢東の肖像画とバナナの静物画を等価なものとみなしました。つまり彼は描く対象をアイコン化することにより、歴史的背景や文化的な重みというものを無化してしまったのです。そして、すべてを表層的なイメージで捉え「未来には誰もが15分は世界的な有名人になれる」という言葉を放った。私の考えではこの一文は、現代の地獄の門に刻まれる文言にもなりえます。だからこそ私も『地獄篇』において、ウォーホールのように表層的なイメージを収集するかたちで作劇を進めていったのです。<br />
</br><br />
</br><br />
——『煉獄篇』は家族劇。しかも家庭内の暴力の物語でありギリシャ悲劇を連想させます。<br />
ＲＣ：そのとおりです。ギリシャ悲劇において暴力はおもに、血縁関係の物語で頻出します。私はこの事実を参考に、みずから物語を考案しました。と同時に本作では、神学的なテーマも多く採用されています。たとえば「父が息子を生贄にする」という話は、旧約聖書のアブラハムの例を出すまでもなくキリスト教文化に多く見られるテーマです。ですから、劇中、息子が父と登る舞台後方の階段は、生贄を捧げるための山とも捉えられますし、ダンテの描いた煉獄山を象徴する山とも捉えられます。『煉獄篇』は他の二作に比べると、いっけんオーソドックスな演劇的時間が流れているように思えます。けれど、ある目にみえない隠された暴力の瞬間をきっかけに、芝居の性質が急変します。そして写実的な方法論がいっぺんして、夢想的な、まるで子供の夢のような場面がくりひろげられていくことになります。いずれにしろ、私はここで現実世界の何かを説明したいわけではありません。演劇とは、別世界との出逢いであり、この世の解説ではありませんからね。<br />
</br><br />
</br><br />
——『天国篇』のインスタレーションは、どちらかというと美しい至高天よりも地獄の常闇を思わせる作品ですね。<br />
ＲＣ：ダンテの描いた『天国篇』は光への旅路でした。しかし私の作品では、あえて光を否定的な観点から捉えてみました。つまり観客をいったん闇の空間に入れてみることにしたのです。暗闇に包まれた観客の目は、徐々にそれに慣れていきます。そして時の経過とともに、周囲の情報に敏感になっていき、そしてあるときある物体がゆっくりと姿を現してくる。私はこのプロセスそのものを、光のひとつのかたちとしてとらえ提示したかったのです。</p>
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		<title>Interview with Akram Khan / Choreographer</title>
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		<pubDate>Sun, 06 Dec 2009 16:16:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[Only in his mid-thirties, this young British- Bangladeshi choreographer has already tied up with the top-list greats in the bustling art world, gaining him a dashing stellar career and a center stage spotlight. Some of the names among his eminent co-workers are, the controversial British sculptor Anish Kapoor, the French ballet diva Sylvie Guillem,
and the international pop icon Kylie Minogue. And now with his newest creation in-i another beautiful name joins this list, the Oscar-winner actress Juliette Binoche. Okay, so some blabby critics and journalists are gradually starting to call him a high-flying careerist…but is he really so? Meeting up with him in a cozy restaurant in Paris, the man sitting in front of me with a café crème and a warm judicious smile, just seemed to be having fun staying true to his inexhaustible curiosity. ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_586" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/12/thumbnail-300x199.jpg" alt="Photo © Tristram Kenton" title="Akram Khan" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-586" /><p class="wp-caption-text">Photo © Tristram Kenton</p></div> Only in his mid-thirties, this young British- Bangladeshi choreographer has already tied up with the top-list greats in the bustling art world, gaining him a dashing stellar career and a center stage spotlight. Some of the names among his eminent co-workers are, the controversial British sculptor Anish Kapoor, the French ballet diva Sylvie Guillem,<br />
and the international pop icon Kylie Minogue. And now with his newest creation <em>in-i </em>another beautiful name joins this list, the Oscar-winner actress Juliette Binoche. Okay, so some blabby critics and journalists are gradually starting to call him a high-flying careerist…but is he really so? Meeting up with him in a cozy restaurant in Paris, the man sitting in front of me with a café crème and a warm judicious smile, just seemed to be having fun staying true to his inexhaustible curiosity. </p>
<p>——Since your breakthrough in <em>Zero Degrees</em> (05) you have been dubbed as the “ Prince of contemporary dance”.<br />
<strong>Akram: </strong>Well, I know. But frankly, I don’t care much about how I am looked upon. I just do what I want to do. Which is, by the way, usually the extreme opposite of what people want me to do. I mean, the truth for me is, that you can never play safe as an artist. You always have to take risks. That is the only true way for creating art. But anyway going back to your question, yes,<em> Zero Degrees</em> was a creative milestone for me. Because before that, in the early days, I used to perform to a lot of empty seats. It was such a depressing life, and I thought I ‘m such a depressing artist. Nobody sees me. I must be doing crap. Then one day a Hindu musician I know came up to me and said, “Imagine that each empty seat has a God sitting there”. So from that day on, faithfully taking in his advice, I put Krishna and Ganesa and Siva and all the Gods I knew in the audience.</p>
<p>——Wow, that is quite an audience.<br />
<strong>Akram: </strong>It is. And also what you’re going to present to Krishna is totally different from what you’re going to present to Siva. Each of them is individual. So in a way, you become tremendously sensitive and aware of all these Gods in the theater. And for me, this goes exactly the same with people. Once you’re in a theater, you contact each and every one of them differently. The Japanese choreographer Saburo Teshigawara once said something very beautiful regarding to this concept, which I quite agree. He said that if there is 450 people in the audience, and one hour later it becomes 451, because one person comes in late, his whole breathing changes, as he senses every single person in that room. It is the same with me, or at least I’d like to think it is the same. On stage, my five senses are fully awake.</p>
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		<title>Avignon Report ジャン・ミシェル・ブリュイヤール LFKs / Le Préau d&#8217;un seul</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 15:02:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[セバスティアンという聖なる名をもつ青年。健康的な農夫のように陽に焼けた逞しい体躯と、高貴な黄金の髪に縁取られた男らしい美貌を持つ彼は、賑やいだディナーの席で面と向かい私に「ジュ・デテスト・ル・ジャポネ（僕は日本人が嫌いだ）」と言いきった。だが私は彼のそのあまりの邪気のない言葉にむしろ愛嬌を感じてしまった。毎朝飲む一杯のミルクのように、彼にとってはそれがあたりまえの価値観。疑念のない美しき自信家の心には、ユートピアのように真っ白な純粋さが存在するだけで、そこからはしかるべき衝突も軋轢も議論の余地も生まれてこない。アヴィニヨンの片隅。廃屋化寸前の巨大車庫のような外観のル・ミロワトリー（鏡工場）では、ジャン・ミシェル・ブリュイヤール率いるアーティスト集団LFKｓによる『Le Préau d'un seul (One Man's Prison yard)』が上演されていた。そしてここにも、純白のユートピアの知られざる被害者たちが居た。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/08/Jean-Michele-Bruyere-150x150.jpg" alt="Jean Michele Bruyere" title="Jean Michele Bruyere" width="150" height="150" class="alignleft size-thumbnail wp-image-393" />　二年前の洞爺湖サミットで、仏サルコジ大統領が福田元総理の握手を公然と拒んだというニュースをどこかで読んだ。一国の大統領によるあからさまな反日感情。さしのべられた手の行き場のなさと、それにつづく場が凍てつくような自嘲。事情の詳細はわからないが、時勢眼にたけた友人から「欧州の一部で極右化が強まっている」という恐ろしい言葉に耳にしたばかりであっただけに、その後もずっとこの情景は、私の記憶の片隅にある違和感とともに留まりつづけた。だがまさかアヴィニヨンを訪れて、自分が同じ拒否権を行使されるとはゆめにも思わなかった。</p>
<p>　セバスティアンという聖なる名をもつ青年。健康的な農夫のように陽に焼けた逞しい体躯と、高貴な黄金の髪に縁取られた男らしい美貌を持つ彼は、つたない「アンシャンテ（はじめまして）」とともに私が差し出した右手に、一瞬ちらりと視線を落とし、一拍おいて半歩あとずさり「ボンジュール」と不感症な声で応えた。しかもその後の賑やいだディナーの席で……、安価なレッドビールの酔いがまわりはじめていたとはいえ、面と向かい「ジュ・デテスト・ル・ジャポネ（僕は日本人が嫌いだ）」と言われたときには、予測なしに横っ面を殴打されたような驚きをおぼえた。というより、避暑地で暢気にテニスを愉しむかのごとき他愛のない会話がつづくなか、それと同じ気軽さで、デテストという剛速球がとつぜん美貌の青年の形のよい唇から放たれたため、私は彼のそのあまりの邪気のない言葉にむしろ愛嬌さえおぼえしまったのだ。だから彼がなにをもってそこまで日本人を嫌うようになったのか、ついぞ理由を聞く気にならなかった。おそらくそこに思考的に練られた理由はない。それは毎朝飲む一杯のミルクのようにあたりまえのことなのだろう。そして疑念のない美しき自信家の心には、ユートピアのように真っ白な純粋さが存在するだけで、そこからは衝突も軋轢も議論の余地も生まれてこないのだ。</p>
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		<title>Avignon Report フェデリコ・レオン / Yo en el Futuro</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Aug 2009 17:41:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Theatre]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[右、左、右。南仏地方では出会いがしらに互いの頬に３度キスをする。まるで甘酸っぱいスグリをついばむ小鳥のように、唇をすぼめてチュチュッと耳元で音を発する。私はこの行為がとても好き。ただの儀礼的な会釈や、熱の入らぬ握手では伝わらない、相手の温度を体で味わうことができるから。気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく本格的に復路をたどりはじめる午後五時。タンチュリー通り（直訳するとドライクリーニング通り）12番地にある劇場＜サル・ブノワXII＞でも、劇場前で、友人知人と待ち合わせをする観客たちがこのキスの挨拶を繰り返していた。今日の上演演目は３４歳の若きアルゼンチンの作家／演出家／映像作家フェデリコ・レオンによる新作芝居『Yo en el Futuro (Me in the Future)』。彼はここで、プルーストのごとき「時と記憶」の物語を体感で観客に伝えてみせようとする。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_363" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/08/Yo-en-el-Futuro-150x150.jpg" alt="Photo ⓒ Wim Pannecoucke" title="Yo en el Futuro" width="150" height="150" class="size-thumbnail wp-image-363" /><p class="wp-caption-text">Photo ⓒ Wim Pannecoucke</p></div>右、左、右。南仏地方では出会いがしらに互いの頬に３度キスをする。まるで甘酸っぱいスグリをついばむ小鳥のように、唇をすぼめてチュチュッと耳元で音を発する。私はこの行為がとても好き。ただの儀礼的な会釈や、熱の入らぬ握手では伝わらない、相手の温度を体で味わうことができるから。たとえば、挨拶以上の意図があるのではと訝んてしまうほど髭面をぎゅぎゅっと押しつけてくる中年男性の「ボンジュール」、以前とまったく同じ爽やかなマンダリンのロー・ド・パルファンが心を躍らせる陽気なマダムの「サヴァ（元気）？」、あるいは頬と頬をくっつけずに音だけでささっと済ませてしまう既に距離感のある「オールヴォワール（さよなら）」。人と人とが接触する、そのほんの刹那の瞬間に、視覚や聴覚だけでは伝わらない無限の情報が行き来する。</p>
<p>　気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく本格的に復路をたどりはじめる午後５時。タンチュリー通り（直訳するとドライクリーニング通り）12番地にある劇場＜サル・ブノワXII＞でも、劇場前で、友人知人と待ち合わせをする観客たちがこのキスの挨拶を繰り返していた。昨日会った二人かもしれない、あるいは二年前に会った二人かもしれない。そのキスの温度から絆の行方を読みとろうとする。だが日本人の私の目から見ると、二重あごの太っちょなおばちゃんも、慣れない半ズボンから痩せた足を覗かせるインテリ紳士も、表面的には相手を同じように愛おしそうに抱いてキスをしている。やはり「見る」だけでは関係性の温度はわからないのだ。</p>
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