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	<title>ARTicle &#187; Interview</title>
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	<description>Theatre Travelogue by Journalist Kyoko Iwaki</description>
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  <title>ARTicle</title>
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		<title>Report / ジョエル・ポムラ「Ma chambre froide」</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Apr 2011 20:32:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[ジョエル・ポムラ。「フランスでいま面白い芝居家は誰だ」という問いに対し、十中八九帰ってくるのがこの名前。エリート主義な仏演劇界では珍しく、一役者からの叩きあげで作家兼演出家として独り立ちした逸材。陰鬱ながらも生の彩やかさにみちたポエジーと、多義的な読解を可能にするナレーションを軸に、現代社会へ訴求力のあるリアル叙情詩を提示してみせる。そんなポムラの最新作「Ma chambre froide（わたしの貯凍室）」をオデオン座附属の小劇場アトリエ・ベルティエで観劇した。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2011/04/joelpommerat3.jpg" alt="joelpommerat3" title="joelpommerat3" width="250" height="289" class="alignleft size-full wp-image-841" /><br />
2011年3月15日 Atelier Berthier Théâtre de l&#8217;Odéon<br />
【作・演出】ジョエル・ポムラ</p>
<p>ジョエル・ポムラ。「フランスでいま面白い芝居家は誰だ」という問いに対し、十中八九帰ってくるのがこの名前。エリート主義な仏演劇界では珍しく、一役者からの叩きあげで作家兼演出家として独り立ちした逸材だ。1990年に自身の劇団＜カンパニー・ルイ ブルイヤール＞を創設。以後、劇団の中核メンバー７人とともに“一毛作”で定期的に新作を発表しつづけている。80年代以後、フランス演劇界を席巻した「演出家の時代」はいまや昔。ポムラの先行世代にあたるオリヴィエ・ピィ（オデオン座芸術監督）や、若手世代のパスカル・ランベール（ジュヌビリエ国立演劇センター芸術監督）やユベール・コラス（コリン座提携作家）などの才能たちはこの国で新たな「劇団の時代」を築きはじめている。</p>
<p>３月にオデオン座附属の小劇場アトリエ・ベルティエで上演された、ポムラの最新作『Ma chambre froide（わたしの貯凍室）』では、彼の美的特質とされる、陰鬱ながらも生の彩やかさにみちたポエジーと、多義的な読解を可能にするナレーションを軸に、現代社会へ訴求力のあるリアル叙情詩が提示された。</p>
<p>04年からジュヌリヴィリエ国立演劇センターで連続発表された三部作（『Au Monde』『D’une seule main』『Les Marchands』）では、世界同時不況にみまわれる現代において否応なく生じる搾取や強制といった労働倫理の腐敗と、それにより喉元をじわりじわりと締めつけられる家族や社会の姿を強靱な筆致で描きぬいてみせた。「不遇時代に生きる普通の人」の姿を、濃縮還元されたリアルとして芝居に仕立てるのがポムラの手腕なのだ。</p>
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		<title>Report / カロリン・カールソン「Blue Lady」</title>
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		<pubDate>Sun, 27 Mar 2011 17:52:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[上演時間75分。たったひとりのダンサーがルネ・オーブリーの神秘的な音楽にあわせ、舞台上で５人のレディを踊りわける。あるいはそれは、人生の春夏秋冬の踊りわけだともいえる。現在のダンス業界の一般常識では、フルレングスの作品というと、美術やセットや人海戦術で豪華さを出すのがあたりまえとなっている。だがかつて70年代にパリ・オペラ座バレエ団から「エトワール兼振付家」の名誉職を得たカールソンは、身ひとつで舞台に立ち、一時間以上の舞台を堂々持たせることができた。この偉業の後釜をいったい誰が引き継ぐのか。当時いろいろな情報が噂され、かのシルヴィ・ギエムも依頼を断るという裏事情があったすえに、08年からこの大任を受け継ぐことになったのがフィンランドの男性振付家テロ・サーリネンだ。カールソンの代表作のひとつ「ブルー・レディ」のRevisited(再訪)版を、パリ郊外のThéâtre Cachanにて観劇した。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_821" class="wp-caption alignleft" style="width: 302px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2011/03/bluelady04photoannasole-300x199.jpg" alt="© Anna Solé" title="bluelady04photoannasole" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-821" /><p class="wp-caption-text">© Anna Solé</p></div><br />
2011年3月24日 Théâtre Cachan<br />
【振付】 カロリン・カールソン<br />
【ダンサー】 テロ・サーリネン<br />
【オリジナル楽曲】 ルネ・オーブリー<br />
【オリジナル美術】 フレデリック・ロベール<br />
【照明(再演)】ピーター・ヴォス<br />
【照明(初演)】 ジョン・デイヴィス、<br />
　　　　　　　クロード・ナヴィル<br />
【衣装 (再演)】 クリステル・ジンギーロ</p>
<p></br><br />
</br><br />
名は耳にすれども観る機会に恵まれぬ振付家。東京に暮らしていると、そうしたアーティストの作品に触れたい欲望だけが降り積もっていく。アメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれ、過去40年、ヨーロッパの第一線で活躍してきたカロリン・カールソンもそんな存在のひとり。幸運にも今月、フランスで開催中の＜第16回ヴァル・ド・マルヌ県ダンスビエンナーレ＞にて、彼女の代表作のひとつ『ブルー・レディ Revisited(再訪)版』を目にすることができた。</p>
<p>同時期にフランス各地を巡演中の『ダブル・ヴィジョン』(06)の評判がかんばしくなく、彼女の創作的な老いがささやかれていることは以前から聞きおよんでいた。そのため、いくら彼女の初期作とはいえ、時に風化した旧作を見せられるのではないかと、劇場への足取りが重かったことは否めない。しかし結論からいえば、その想いは杞憂に終わった。83年から12年にわたりカールソン自身が踊りつづけ、フランスで「ヌーヴェル・ダンスの代表作のひとつ」と謳われた本作の作品的強度は、確かにパッケージこそ一世代前のものとして古びてはいるものの、本質的な身体言語は時代に流されぬ高級ヴィンテージのような品位を凛々しく保っていた。新しさを下手に気どり十年で古びるまがいもののファッションのようなコンテンポラリー・ダンスには、到底及びもつかぬ振付的純度だ。</p>
<p>上演時間75分。たったひとりのダンサーがルネ・オーブリーの神秘的な音楽にあわせ、舞台上で５人のレディを踊りわける。あるいはそれは、人生の春夏秋冬の踊りわけだともいえる。現在のダンス業界の一般常識では、フルレングスの作品というと、美術やセットや人海戦術で豪華さを出すのがあたりまえとなっている。だがかつて70年代にパリ・オペラ座バレエ団から「エトワール兼振付家」の名誉職を得たカールソンは、身ひとつで舞台に立ち、一時間以上の舞台を堂々持たせることができた。この偉業の後釜をいったい誰が引き継ぐのか。当時いろいろな情報が噂され、かのシルヴィ・ギエムも依頼を断るという裏事情があったすえに、08年からこの大任を受け継ぐことになったのがフィンランドの男性振付家テロ・サーリネン。なぜ男性ダンサーを後継者に選んだのか。その理由を訊ねられたカールソンは、ラジオ・フランス・アンテルナショナル（ＲＦＩ）のインタビューで簡潔にこう答えている。「だって女性ダンサーを選んだら、誰もが私と比較するでしょう？」</p>
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		<title>Report / 「春琴 Shun-kin」</title>
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		<pubDate>Wed, 22 Dec 2010 11:16:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[ロンドンのバービカン劇場やパリ市立劇場での上演を経て、日本での再々演を迎えたサイモン・マクバーニー演出『春琴』。谷崎潤一郎作『春琴抄』に『陰翳礼賛』の美学を重ね、現れては溶けゆく、数々の墨絵が視覚化されていく。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2011/02/画像／『春琴』.jpeg" alt="画像／『春琴』" title="画像／『春琴』" width="300" height="200" class="alignleft size-full wp-image-811" /><br />
<strong>現出しては溶解する<br />
英国人演出家の見る、<br />
文豪谷崎の陰翳の美。</strong></p>
<p>2010年12月5日 世田谷パブリックシアター<br />
【演出】　サイモン・マクバーニー<br />
【作曲】　本條秀太郎<br />
【美術】　松井るみ＋マーラ・ヘンゼル<br />
【出演　　深津絵里、立石凉子、チョウソンハ、<br />
　　　　　高田恵篤、笈田ヨシ、本條秀太郎など<br />
</br><br />
現れては消え、為されては崩される。演出家サイモン・マクバーニーによる舞台『春琴』では、世界のすべてが灯火のもとおぼろに揺らいでいる――。記憶の残像も、心情のひだも、三味線の響きも、紙片に映しだされる幻影も。一瞬、その場に輪郭を為したかと思うと、次の瞬間にはあたりの闇に呑まれている。だが現れる美がほんの刹那だからこそ、観客の脳裏には、その墨絵が人生の強烈な記憶のように刻まれる。鬼才マクバーニーはここで文豪谷崎のつづる『春琴抄』の絵の数々を、舞台に現出させては溶解させ、『陰翳礼賛』で称揚される儚くも繊細な美をみごとに体現する。</p>
<p>　原作『春琴抄』では谷崎本人が『鵙屋春琴伝』という小冊子を手に、大阪下寺町にある盲目の美女・春琴とその奉公人で事実上の夫であった佐助の墓参りをする場面からはじまる。いわば現在を生きる作家本人が、登場人物たちの世界を訪ねて物語る二重構造を採用しているわけだ。マクバーニーは本作でこの構造をさらに多層化。登場人物の世界と、その世界について語る谷崎、さらにその外側に『春琴抄』を現代のラジオドラマのために朗唱するナレーターを用意する。結果、春琴と佐助の俗的な契約を超えた形而上的純愛が、陰翳の美が破壊された現代のネオン社会においても、日本人の心のなかに仄かに生きつづけることが示唆される。ナレーターの熟年女性は携帯電話の向こうの情夫との、いわば非生産的な関係性を、肯定も否定もせず時間の流れるままに受け止めていく。</p>
<p>　春琴役は、英国ブラインド・サミット・シアター製作による精巧な童女の人形と、人形ぶりをする女性役者、そして生身の人間(深津絵里)の三人により演じられる。佐助役もその年代に応じて、三人の男優が演じわける。この演劇手法により、盲目の春琴が静穏な仮面のむこうに、どれだけ強欲で嗜虐的な魂を隠し持っているか、という女の表裏がうまく表現される。と同時に、春琴の生身の美貌を、深津によりほんの10分体現することにより、やはり、すべては現れては消えていく流転のさなかにあるという世界の儚さが強調される。</p>
<p>　役者陣の演技は、３年間の断続的な世界ツアーを経て、無駄の削ぎ落とされた茶器のようになめらかで美しい。ことにアンサンブル全体の息が見事で、気づくと、さきほどまでそこに無かった、和室の襖や、ひともとの松が、彼らの扱う数本の木棒により整然と立ち現れている。若かりし佐助を演じるチョウ・ソンハの、三味線の弦のように隅々まで緊張感のゆきとどいた身体性に目を奪われた。<br />
今回の再々演では、春琴と佐助の愛がやや簡潔化されすぎているように思えた。ただ生のすべてが機械的に処理される殺伐たる現代社会からすれば、そこには皮膚に沁みこむほど肌理細かい人心の美がまちがいなくある。劇場を出ると、満目騒音の東京景色が暴力的にさえ思えた。</p>
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		<title>Travelogue / 時を紡ぐ島 &#8212; アラン諸島</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Dec 2010 16:15:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[視野をひろげると、あたりは地平線の先の先まで、空と石と草の風景。耳には雄大な大西洋のさざめきと微かな鳥のさえずりがときおり風に乗って響き、その飾り気のない石と海の世界のすべてを一種独特の「寡黙さ」が包みこむ。荒蕪の地アラン島にて、静寂の時を味わう。JAL機内誌『AGORA』の記事を一部改訂して再録。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/12/DSCF0592-300x225.jpg" alt="DSCF0592" title="DSCF0592" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-788" />北緯五十一度。モスクワとほぼ同緯度にあり、四方を黒い大西洋に囲まれたつましい孤島。木と呼べるような立派な樹はなく、土と言えるような肥沃な耕土もない。かつてアイルランド全土が清教徒クロムウェルに侵略されたおりにも、この島を含む西方の土地だけは強欲な占領者も欲しがらず、それどころか地元のアイルランド人を強制移住させたというから、昔からどれだけこの島が酷薄な土地であったかがうかがえる。</p>
<p>しかし、いざ荒蕪の地アラン島に降りたつと、ふわり、意外なほどやさしい初秋の風が頬をなぜた。緯度が高くとも暖流の影響で気温がさほど下がらないのだ。その湿潤な風の誘いにのり周囲に視野をひろげると、あたりは地平線の先の先まで、空と石と草の風景。耳には雄大な大西洋のさざめきと微かな鳥のさえずりがときおり風に乗って響き、その飾り気のない石と海の世界のすべてを一種独特の「寡黙さ」が包みこむ。その静けさはまじめで、素朴で、なんともいえず丹念なもの。南国の大あくびのような空白とも、大都会の冷たい沈黙とも異なる、実に居心地のよい旧知の友のような静寂だ。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Interview 宮永愛子 / アーティスト</title>
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		<pubDate>Sun, 17 Oct 2010 15:42:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[衣服や靴などの日用品をナフタリンでかたどった作品や、川や海から抽出した塩の結晶を育てて生みだされた造形物など、時間とともに静かに変容してゆく繊細なクリエイションが世界で高く評価される宮永愛子。あいちトリエンナーレで発表した新作『結―ゆい―』についてインタビューに応えてもらった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/10/triennale100826_2.jpg" alt="triennale100826_2" title="triennale100826_2" width="160" height="223" class="alignleft size-full wp-image-775" />&#8212;- あいちトリエンナーレで発表された新作『結―ゆい―』について伺います。まず本作ではなぜ、創作素材として、堀川の塩を使おうと思われたのでしょうか。場所にこめられた意味や思いを、具体的なエピソードどともにお聞かせいただけますか。</p>
<p>宮永　京都出身の私にとって、名古屋のイメージは通り過ぎる街。長く滞在することはありません。なので当初は町のシンボルである名古屋城の方角さえわかりませんでした。今回は、そんな自分自身の目線を大切にしつつも、名古屋の新しい発見に結びつくような展示をしたいと思いました。いつも私は、着想時に土地に流れている「過去の時間」を見つめます。現在は昔の続きにあるからです。はじめに名古屋の下見に訪れた時、お城につながる川を見つけ、その存在にとても惹かれました。こういう出会いとインスピレーションを、私は作品のはじまりとしてすごく大切にしています。その川について調べると、400年前の築城の際、木材を運ぶ運河であったことがわかりました。つまり「木の道」です。またこの川は、ものの売り買いのはじまる場所、名古屋の城下町の始まりであったことも知り、ますます魅力を感じてゆきました。</p>
<p>&#8212;- そうして堀川と、様々な要素が結びついてあのような展示になったわけですね。</p>
<p>宮永　そうです。人の手によって生み出された堀川、その川の流れと共に発展していった町や景色。川によって森と海がつながり、お城と海がつながっていく。とてもイメージが広がっていきました。また実際に木曽川の源流に行くととても遠くて「こんな森から木はやってきたのか、まさか木は森に生まれてお城へ行くとは思っていなかっただろうに」などとも思いました。自分も誰でも、多分、迷いながら今を流れつづけ生活していますよね。この一度目のトリエンナーレもつづき流れていくものでしょうし。そんな思いもいろいろとリンクしてきて……「流れの往来」が作品のキーポイントに。ナフタリンで靴の象りをつくり「足元の往来」のイメージへとつながってゆきました。こうして、いろいろな場所と景色、記憶が時間を超えて結ばれていくことを想って『結―ゆい―』と名づけました。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Interview ジゼル・ヴィエンヌ / 演出家・振付家・人形作家</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Aug 2010 15:21:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[「これはダンス？」と思うとセリフが語られ「演劇？」と思うとインスタレーションのごとく沈黙する。さらに舞台上で引用される、バタイユやニーチェによる強烈哲学に思考を馳せていると、いきなり劇場全体が真っ白な濃霧に襲われる。まさに思考と体感の極限体験。なるほどヤン・ファーブルに見初められたアーティストだと聞いて納得がいった。現代芸術界の巨匠が、ダンスとも演劇ともアートともつかぬ先鋭作品を創作するのと同様、若きジゼル・ヴィエンヌもまた非常にジャンル越境的な舞台を創造するからだ。７月のアヴィニヨン演劇祭にて新作『This is how you will disappear(こうしておまえは消え去る)』を発表した彼女に、現地でインタビューを行った。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/10/M2538-300x176.jpg" alt="M2538" title="M2538" width="300" height="176" class="alignleft size-medium wp-image-762" />—— この秋、初めて東京で作品を上演されます。あなたのことを知らない観客も日本にはまだいますので、まずは基本的な経歴から伺わせてください。あなたは演出家として非常にユニークな経歴をお持ちですね。大学では演劇ではなく哲学を専攻され、その後、フランス国立高等人形劇芸術学院で学ばれます。なぜこのような進路を選ばれたのでしょう。</p>
<p>GV　私は若いころから非常に多くのことに情熱をそそいできました。文学、哲学、音楽、ヴィジュアルアート……ほかにもありますが、主だったものはこれらです。そしていつも私は、文学と音楽とヴィジュアルアートを融合する最適な手段は人形劇だと思いつづけてきました。別に子供のころから人形劇をたくさん見ていたわけではありません。ただ私自身が、そのような人形劇を作れると漠然と信じてきたのです。それで国立高等人形劇芸術学院への進学を志したわけですが、まさか合格するとは思いませんでした。それまでの私は、ヴィジュアルアーティストである母の影響でハンス・ベルメールやアネット・メサジェなどの創作人形に触れていたとはいえ、大学ではまったく関係のない哲学や音楽を勉強していたわけですからね。でも運良くこの教育機関に受け入れられ、私は初めて本格的に演劇や人形劇を学ぶことになりました。なかでも当時見た淡路人形座の文楽にはとても感銘を受けました。私がその頃から試みようとしていた、テキストと音楽とムーヴメントの相互性が、そこではすでに洗練されたかたちで完成されていたからです。</p>
<p>—— 卒業後あなたは、生身のからだと人工物である人形、その双方を素材として振付家・演出家・ヴィジュアルアーティストとして創作を始められます。そして６年後の05年に『I Apologize』『Une belle enfant blonde』をたずさえアヴィニヨン演劇祭に登場されます。 </p>
<p>GV　今年でアヴィニヨンは三度目になりますが、初めて招聘されたとき私はまだ29歳で、いまと同様かなり過激な作品をつくりつづけていたため、このような歴史あるフェスティバルに参加するのは無理だろうと思いこんでいました。けれど当時アソシエート・アーティストを務めていたヤン・ファーブルが私のことを強く押してくださり、芸術監督のヴァンサン・ボードリエールにも気に入ってもらい、私はアヴィニヨン・デビューを飾ることができたのです。この幸運にはとても感謝しています。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>Dance Review 山海塾 KARA・MI</title>
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		<pubDate>Wed, 09 Jun 2010 16:42:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[山海塾の二年ぶりの新作『KARA・MI』がパリのテアトル・ド・ラ・ヴィルで世界初演を迎えた。春先とは思えぬ凍えぬ寒さとそぼふる雨に濡れるパリを訪れ、現地で新作をいちはやく観劇。終演後、劇場となりのカフェ・サラ・ベルナールで天児牛大から創作の鍵となるコメントももらった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/06/g_tv10amagatsukara-300x250.jpg" alt="g_tv10amagatsukara" title="g_tv10amagatsukara" width="300" height="250" class="alignleft size-medium wp-image-754" />京の石庭を思わす、おだやかに砂が敷かれたパリ市立劇場の舞台面。 その薄皮の砂面のうえに、ころんと、白塗りの舞踏手が魂の抜けた人形のごとく仰向けに倒れる。そしてその空洞化した体を、ほかの数人が、聖なる御柱でも起こすかのように丁寧に垂直に立てていく――。</p>
<p>山海塾による二年ぶりの新作『ＫＡＲＡ・ＭＩ』ではまず、このような印象深い無機的動作で、私たちの生身の「体」に対して疑義を投げかける。果たして西洋では単なる容れ物として捉えられるこの体の内では、魂、無意識、あるいは約六十兆という細胞がどのように共生しているのか。振付・構成を担う天児牛大は、デカルトの心身二元論から遠くはなれ、東洋的な全体感で体と対話し内へと潜っていく。また天児は本作のタイトルについてこう解き明かす。</p>
<p>「＜から＞は、空の体を指します。＜み＞は「身」であり、これは命を宿す女性の体を横から見た象形文字です。つまり『から・み』で、空の体＝死と、命の宿る体＝生の双方を表しているのです」</p>
<p>タイトルの中央に配置されたのが「／」ではなく「・」であることからも理解されるように、天児は＜から＞と＜み＞を、つまりは死と生を、クリアに分化せずに提示する。また頭と体、無機物と有機物、内と外、のあいだの界面もーー宙でゆらゆらと揺れる七枚の”半透明な”プレート板が示唆するようにーーあちらとこちらがきっちりと分断されずそこに在る。<br />
山海塾は本作で、私たちの体のうちへの微視的探求を試み、無数の命が共生するひとつのミクロコスモスを美しく創りあげてみせた。</p>
<p>May 3, 2010 @ <a href="http://www.theatredelaville-paris.com/spectacle-sankai-juku-159">Théâtre de la Ville, Paris</a></p>
<p><em>初出 : DANZA 2010 8-9月号</em></p>
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		<title>Interview  ホッフェシュ・シェクター /  振付家</title>
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		<pubDate>Mon, 31 May 2010 16:54:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラエル随一のダンスカンパニーであるバットシュエバ舞踊団のダンサーとして活躍したのち、フランスで打楽器演奏を学び、振付家として独立した34歳のホッフェシュ・シェクターが新作「Political Mother」で初来日。振付・作曲・構成のすべてを担うカンパニーの総合指揮官の風貌は、いまどきの気弱な青年にも見えるが、稽古場での彼は大企業のＣＥＯさながらに迷いなく、ダンス、音楽、構成、すべてを事細かにコントロールしていく。そしてこの不明瞭さのない完璧主義により、英国ガーディアン紙に「ホフェッシュ・シェクターは完全にオリジナルな才能だ」と絶賛される世界観を作りあげてみせる。カンパニーの拠点が置かれる、英国ブライトンにて四月に単独取材を行った。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/08/15374.jpg" alt="15374" title="15374" width="200" height="250" class="alignleft size-full wp-image-737" /><br />
————今回が初の日本公演になります。あなたがどのようにしてダンスをはじめられのか、少し自己紹介をしていただけますか。<br />
僕はまず子どものころに民族舞踊を習いはじめました。イスラエルでは民族舞踊がとても盛んなのです。老若男女、なにか祭儀があるたびに踊ります。と同時に、僕は音楽も好きだったのでピアノも習いました。絵画も少しやったかな。でも最終的にはダンスを選んだ。ダンスがいちばん人と社交できて楽しかったんです。僕はとても内向的だったので、ダンスによって自分を表現する手立てが得られたのが嬉しかったんです。それでその後、エルサレム・アカデミー・オブ・ダンス・アンド・ミュージックで学び、また十代後半からはプロのダンサーとしてバトシェバ舞踊団で踊るようになりました。<br />
</br><br />
————その後、いちどダンスをやめて打楽器奏者を目指されますね。<br />
そうなんです。なぜかダンスだけでは僕のなかにある「創造欲」を満たすことができなかったんです。それで打楽器の先生をテルアビブで探しだし、その後二年、毎日五時間ドラムを叩きつづけました(笑)。でも今から考えると打楽器を習得したことは、現在の振付活動にとても役立っているように思います。というのも僕は基本的に、振付を考えるときにリズムから考えるんです。舞台役者が緩急や強弱などの言葉のリズムを決めてからセリフを言うのと同じように、僕もムーヴメントのリズムをまず考える。で、そこで打楽器を習っていた経験が役立つ。また振付と音楽の双方をクリエイトできるようになったことで、かなり純度の高い自分だけの世界観が作れるようになりました。だからようやく今、自分の創作欲が満たされているように思います。<br />
</br><br />
————あなたの生み出すムーヴメントは非常にオリジナル。昆虫や動物を思わせる動作、民族舞踊を思わせる舞、肉体労働者のしぐさを思わせる群舞、あのユニークな身体言語はいったいどこから生まれてくるのでしょう？<br />
すべては自分の内側から、自分の感情とコネクトすることから生まれてきます。だから創作にあたってはまず、毎回なるべく素直に自分の感情と向きあう。そして自分が表現したい、漠然とした「感覚」を掴む。それはまったく言語化できない感覚で、だからこそ僕はそれを身体言語に移し替えようと試みるわけです。そこから果たしてどんな動きが生まれてくるのか、自分でもわかりません。けれど「とりあえずやってみよう」と稽古場に入っていくわけです。また僕はダンサーたちにも、形より感情を大切にしてくれと伝えます。僕が伝えたい感情さえ適確に掴んでいてくれれば、少しぐらい腕が高かろうが低かろうがかまいません。</p>
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		<title>Interview マリアネラ・ヌニェス / ダンサー</title>
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		<pubDate>Sat, 29 May 2010 13:28:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[振付家フレデリック・アシュトンはかつて南アフリカ出まれのダンサー、ナディア・ネリーナのために『リーズの結婚』を作りあげた。それからちょうど半世紀。アルゼンチン出身の舞姫マリアネラ・ヌニェスは、まるでそれが自分のために仕立てられたダンスであるかのようにリーズ役をものにしてみせる。また二年前に初挑戦した『ロミオとジュリエット』でも、英国ガーディアン紙から「舞台にいるダンサーのために物語が書き下ろされたように思える」という賛辞を獲得。どうやら現在のヌニェスは、ダンサーとしての最盛期を迎えつつあるようだ。19歳にしてプリンシパルの座に就いてから、早くも8年。コスモスのように朗らかな彼女ならではの少女っぽさに、成熟した女性らしさをまといつつあるヌニェスと、３月某日、『リーズの結婚』の本番翌日に言葉を交わした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/05/1247321171857_f-199x300.jpg" alt="1247321171857_f" title="1247321171857_f" width="199" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-719" />—— 昨晩はすばらしい舞台をありがとうございました。見せ場であるファニー・エルスラーのパ・ド・ドゥもをはじめ、あまりにも軽やかで美しく、見ているだけでこちらまで笑顔になってしまいました。</p>
<p>ありがとう、そう言ってもらえて光栄です。私も昨晩の公演にはアドレナリン全開に興奮してしまって、終演後も夜中の４時まで眠れませんでした(笑)。初めてリーズを踊ったのはもう５年前になりますが、そのときからずっとこの演目には「居心地の良さ」を感じています。もちろん最初はアシュトンならではの素早いフットワークを会得するために、それなりに稽古時間を割く必要はありました。またアシュトンの控えめでアカデミックなスタイル、無理のなりアラベスクのラインや、柔らかな上半身のラインも身につけねばなりませんでした。でも、それらをいったんものにしてからは本当に舞台上でリラックスして踊ることができた。あの農家の家の扉からとびだした瞬間から、私はリーズになりきることができるのです。</p>
<p>—— きたる日本公演では私生活でもパートナーであるティアゴ・ソアレスと『リーズの結婚』を踊られますね。ソアレスはどちらかというと、シリアスな演技に定評があるので喜劇バレエで彼を見るのは新鮮な体験になりそうです。</p>
<p>確かに、彼はシリアスな役が多いことは事実です。でもティアゴは本物のアーティストですから舞台上でどんな人間にもなりきることができます。それにそもそも、彼は普段はとってもおかしな人なんですよ。どれだけ彼にユーモアのセンスがあるかガわかったら、きっと日本のお客さんは彼に惚れなおすと思います。</p>
<p>—— 以前のあなたは「大きな笑顔とピンクのチュチュ」がトレードマークでしたが、近年では『ロミオとジュリエット』や『ジゼル』、また『うたかたの恋』のラリッシュ伯爵夫人など、より深い演劇性を要する役柄に次々に挑まれていますね。<br />
そう、以前はピンクのチュチュの『眠れる森の美女』や『くるみ割り人形』ばかり踊っていましたからね(笑)。でもそれらの役も、私はいまだに踊ることが大好きです。２年前にティアゴ(ソアレス)と初めて『ロミオ〜』と踊ったときは、まさに天にも昇る気持ちでした。以前にも取材でお話ししたように、私はこの役がずっと踊りたくてしょうがなかったので、ようやくモニカ(メイソン)から許可が出て、ジュリエットとして舞台に立つことができたときには、あまりにも嬉しくて……、一幕からずっと涙があふれっぱなしでした。観客にはわからなかったと思いますけど、平野亮一君が袖からずっと写真を撮ってくれていて、それにはばっちり涙が映っているんです。日本でもティアゴのロミオと踊ることになりますが、初演時にはあまりリハーサルの時間がなかったので、もっと細部まできちんと確認して、天才マクミランが作りあげたドラマを生き抜きたいと思います。</p>
<p>—— 最後に素朴な質問です。どうしたらロンドンで暮らしながら、そんなに毎日笑顔でハッピーで居続けられるんですか。<br />
それは、とてもいい質問ね(笑)。でも答は簡単、私は自分の仕事を愛している。心から完全に愛しているんです。だってまだ小さな女の子だったときからバレリーナになるのが私のただひとつの夢で、それがこうして叶って、今ロイヤル・バレエ団にいるわけですから。こんなに嬉しいことはない。しかも私はまだ27歳で、まだ学ぶべきことが山のようにあって、まだ自分が進化できるという実感がある。だからとにかく私の人生はハピネスでいっぱい。笑顔でいないほうが難しいくらいです。</p>
<p><em>＜初出 NBS 英国ロイヤルバレエサイト 一部改訂＞</em></p>
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		<title>Interview 蜷川幸雄 / 演出家</title>
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		<pubDate>Fri, 07 May 2010 11:34:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[日本を代表する演出家である蜷川幸雄。東京にいると彼の芝居が毎晩上演されているような錯覚を覚える。それほど蜷川は、キャリアが四十年を超す今も、驚異的な多作体制を崩さない。また量が過剰なら質も過激。この演出家はつねに、人の足場を揺るがすような、熾烈な劇世界の台風に観客を巻きこんできた。その刺激によって日本の演劇界が、どれほど大きく変容してきたことか。まさに彼の存在なくしては、今の日本の演劇界はありえない。好奇心旺盛で勉強熱心、照れ性で誠実で、誰よりも自分に厳しい。年中無休で火を吹きつづける創造のシリンダーを原動力に、今日も、創造の現場に立ち向かう。その過激な半生の、足跡を追う。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/05/ninagawa1-212x300.jpg" alt="ninagawa(1)" title="ninagawa(1)" width="212" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-698" /><br />
さいたま芸術劇場の取材室。洋間に音もなく浮かぶ埃が、冬陽の粒子と戯れる。そのゆったりと宙を泳ぐ光の生態たちが、中央に座る演出家に触れるや、鋭角な乱反射をおこし全方位にはじけちる。</p>
<p>蜷川幸雄、七十三歳。「いまだに俺は日溜まりでぬくぬくっていうのが好きじゃないんだ」と、今もこの劇場内で四つのプロジェクトに同時にたずさわる。ありあまる過激さ、行動力、好奇心、それにその奥に底流する潔癖な羞恥心。蜷川の中核をなす気質は今も昔も変わらない。この劇場から車で数十分の場所にある、埼玉県川口市にある洋服屋の息子として生まれたときから、彼は、自分のうちに眠る潔癖な自意識を逆噴射させるかたちで激烈に人生を駆けぬけてきた。幼少期のころからつねに蜷川少年のまわりには、のどかな冬陽からはかけはなれた、疾走する生命力が氾濫していた。</p>
<p>「終戦直後、まだ白米が珍しい時代。そんな混乱のさなかに、富山から上京してきた貧しい男女であるうちの両親は、無名の画家や学者たちを集め自宅で援助していた。気づくと二階の鴨居には売れない画家の掛け軸や色紙がずらりと並べられ、それを近所の少し裕福な人たちが入札して買っていく。と同時に、うちはオートレースのバイクオーナーもやっていたから。その賞金狙いの博打にはじまり、花札に麻雀に、とあらゆる賭事も行われていた。だから片一方に芸術があって、もう片方に博打があって。両親がいて、子供が五人いて、お手伝いさんと、職人さんと、近所の人の出入りがあって。『元気かバカ！』なんていう、地元特有の照れかくしな挨拶が日々飛び交っていた。本当にめちゃくちゃな家。しょっちゅう、人がわぁわぁやってた」</p>
<p>　兄弟は、女ひとりに男四人。母親はあえてその子供たちのなかから「芸術に興味をもちそうだった」幸雄を選び、歌舞伎やオペラや文楽に連れていく。母のお気に入りは伝説的な文楽の太夫・山城少掾。放課後、小学校の校庭を母親がいそいそと横切ってくると「ああ、今日はどこに連れていかれるのかな」と思うように。次第に、少年はめくるめく芸術的色彩のなかに身をひたす愉しみを覚えていく。旺盛な知識欲をふくらませ、中学高校は東京の開成へ。そこでドストエフスキー、トルストイ、漱石、鴎外、太宰といった和洋の基礎文学教養を身につけ、東京芸術大学の油絵科を受験する。結果は、不合格。人生のとば口での挫折に青年は悩む。</p>
<p>だがそれも束の間。彼は突如、劇団青俳の研究生試験を受ける決意をする。俳優になりたいと思ったことはない。ただ彼のなかでの不可知な力が、そこに飛びこめと背中を押した。高校を卒業したての十九の春。何やら説明のつかぬに引力にひかれ、蜷川は、生涯を賭すことになる演劇の世界へ足を踏み入れていった。</p>
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