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	<title>ARTicle &#187; Art</title>
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	<description>Theatre Travelogue by Journalist Kyoko Iwaki</description>
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  <title>ARTicle</title>
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		<title>Report / フェデリコ・レオン「未来のわたし」</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Nov 2010 07:07:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[人間の過去は、必ず美化される。ある一瞬の笑顔が時のなかで倍加され、他の無表情で退屈な時間を呑みこんでしまう。若きアルゼンチン人演出家フェデリコ・レオンは、この甘やかに倍加された記憶時間に観客を誘ってみせる。そして特別な一瞬が、一時間にも、一生にも感じられる時空を紡いでいく。京都国際舞台芸術際で上演されたアルゼンチンの若き演出家の最新作への劇評。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/12/pgm-10-1-300x300.jpg" alt="pgm-10-1" title="pgm-10-1" width="300" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-806" />人間の過去は、必ず美化される。ある一瞬の笑顔が時のなかで倍加され、他の無表情で退屈な時間を呑みこんでしまう。若きアルゼンチン人演出家フェデリコ・レオンは、この甘やかに倍加された記憶時間に観客を誘ってみせる。そして特別な一瞬が、一時間にも、一生にも感じられる時空を紡いでいく。</p>
<p>気の長いアヴィニヨンの太陽がようやく天頂から復路を辿りはじめる、七月の午後五時。タンチュリー通り十二番地にある「Salle Beno?t-XII」に足を踏み入れると、一瞬にして南仏のぎらつく太陽時間とは異なる時を体感する。舞台上手では老年の女性が独りピアノ曲を演奏中。遙か昔の夕暮れどきに、どこかで耳にしたようなノスタルジックな旋律だ。演出家は、その音色ひとつでプルーストのごとき「時と記憶」の物語のはじまりを予感させる。 </p>
<p>客席が徐々に溶暗していくと、舞台上に10代の男女、30代の男女、70代の男女の６人がひとりまたひとりと登場する。男性は男性、女性は女性で、それぞれ似かよった装い。つまり観客は、彼３人と彼女３人を、同一人物の過去・現在・未来の姿と見なすことができる。あるいはまた彼らを、血縁でつながるひとつの大家族と捉えることもできる。いずれにしろ後方スクリーンに投影される「想い出のアルバム」からも理解されるように、演出家はあきらかにここで、ある特別な時間芸術を彫塑しようとしている。</p>
<p>あどけない少年と少女の、軽いファーストキスの刹那。その映像がいくども舞台上でリピートされる。その小さなキスの記憶は心で想起されるたびに強められ、何十年という時のあいだに無限の重みを与えられていく。10代の子どもと70代の老夫婦では、同じ過去が異なる記憶になる。この記憶の錯覚作業を演出家は舞台上で多用していく。ロジックや知識といった意味記憶というより、キスや笑いや抱擁といった強烈な情動記憶を、ほぼセリフのない45分の作品のなかで喚起していく。そして気づけば観客は、笑顔ばかりが集められた自分の家族アルバムを眺めているときのように、幸せな記憶を想起して「ふふ」と小さく微笑んでいる。</p>
<p>人生とは辛いものだ。だからこそ人は稀にしかない幸せの記憶の尾をなるべく長引かせることで、どうにか日々の笑顔を保っていく。そんなすべてが錯覚かもしれない人生の残酷な幸福感を、フェデリコ・レオンは教えてくれる。</p>
<p><em>京都国際舞台芸術際 KYOKO EXPERIMENT 2010 公式パンフレット掲載</em></p>
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		<title>Interview 宮永愛子 / アーティスト</title>
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		<pubDate>Sun, 17 Oct 2010 15:42:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>

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		<description><![CDATA[衣服や靴などの日用品をナフタリンでかたどった作品や、川や海から抽出した塩の結晶を育てて生みだされた造形物など、時間とともに静かに変容してゆく繊細なクリエイションが世界で高く評価される宮永愛子。あいちトリエンナーレで発表した新作『結―ゆい―』についてインタビューに応えてもらった。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/10/triennale100826_2.jpg" alt="triennale100826_2" title="triennale100826_2" width="160" height="223" class="alignleft size-full wp-image-775" />&#8212;- あいちトリエンナーレで発表された新作『結―ゆい―』について伺います。まず本作ではなぜ、創作素材として、堀川の塩を使おうと思われたのでしょうか。場所にこめられた意味や思いを、具体的なエピソードどともにお聞かせいただけますか。</p>
<p>宮永　京都出身の私にとって、名古屋のイメージは通り過ぎる街。長く滞在することはありません。なので当初は町のシンボルである名古屋城の方角さえわかりませんでした。今回は、そんな自分自身の目線を大切にしつつも、名古屋の新しい発見に結びつくような展示をしたいと思いました。いつも私は、着想時に土地に流れている「過去の時間」を見つめます。現在は昔の続きにあるからです。はじめに名古屋の下見に訪れた時、お城につながる川を見つけ、その存在にとても惹かれました。こういう出会いとインスピレーションを、私は作品のはじまりとしてすごく大切にしています。その川について調べると、400年前の築城の際、木材を運ぶ運河であったことがわかりました。つまり「木の道」です。またこの川は、ものの売り買いのはじまる場所、名古屋の城下町の始まりであったことも知り、ますます魅力を感じてゆきました。</p>
<p>&#8212;- そうして堀川と、様々な要素が結びついてあのような展示になったわけですね。</p>
<p>宮永　そうです。人の手によって生み出された堀川、その川の流れと共に発展していった町や景色。川によって森と海がつながり、お城と海がつながっていく。とてもイメージが広がっていきました。また実際に木曽川の源流に行くととても遠くて「こんな森から木はやってきたのか、まさか木は森に生まれてお城へ行くとは思っていなかっただろうに」などとも思いました。自分も誰でも、多分、迷いながら今を流れつづけ生活していますよね。この一度目のトリエンナーレもつづき流れていくものでしょうし。そんな思いもいろいろとリンクしてきて……「流れの往来」が作品のキーポイントに。ナフタリンで靴の象りをつくり「足元の往来」のイメージへとつながってゆきました。こうして、いろいろな場所と景色、記憶が時間を超えて結ばれていくことを想って『結―ゆい―』と名づけました。</p>
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		<title>Interview ジゼル・ヴィエンヌ / 演出家・振付家・人形作家</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Aug 2010 15:21:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Dance]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[「これはダンス？」と思うとセリフが語られ「演劇？」と思うとインスタレーションのごとく沈黙する。さらに舞台上で引用される、バタイユやニーチェによる強烈哲学に思考を馳せていると、いきなり劇場全体が真っ白な濃霧に襲われる。まさに思考と体感の極限体験。なるほどヤン・ファーブルに見初められたアーティストだと聞いて納得がいった。現代芸術界の巨匠が、ダンスとも演劇ともアートともつかぬ先鋭作品を創作するのと同様、若きジゼル・ヴィエンヌもまた非常にジャンル越境的な舞台を創造するからだ。７月のアヴィニヨン演劇祭にて新作『This is how you will disappear(こうしておまえは消え去る)』を発表した彼女に、現地でインタビューを行った。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2010/10/M2538-300x176.jpg" alt="M2538" title="M2538" width="300" height="176" class="alignleft size-medium wp-image-762" />—— この秋、初めて東京で作品を上演されます。あなたのことを知らない観客も日本にはまだいますので、まずは基本的な経歴から伺わせてください。あなたは演出家として非常にユニークな経歴をお持ちですね。大学では演劇ではなく哲学を専攻され、その後、フランス国立高等人形劇芸術学院で学ばれます。なぜこのような進路を選ばれたのでしょう。</p>
<p>GV　私は若いころから非常に多くのことに情熱をそそいできました。文学、哲学、音楽、ヴィジュアルアート……ほかにもありますが、主だったものはこれらです。そしていつも私は、文学と音楽とヴィジュアルアートを融合する最適な手段は人形劇だと思いつづけてきました。別に子供のころから人形劇をたくさん見ていたわけではありません。ただ私自身が、そのような人形劇を作れると漠然と信じてきたのです。それで国立高等人形劇芸術学院への進学を志したわけですが、まさか合格するとは思いませんでした。それまでの私は、ヴィジュアルアーティストである母の影響でハンス・ベルメールやアネット・メサジェなどの創作人形に触れていたとはいえ、大学ではまったく関係のない哲学や音楽を勉強していたわけですからね。でも運良くこの教育機関に受け入れられ、私は初めて本格的に演劇や人形劇を学ぶことになりました。なかでも当時見た淡路人形座の文楽にはとても感銘を受けました。私がその頃から試みようとしていた、テキストと音楽とムーヴメントの相互性が、そこではすでに洗練されたかたちで完成されていたからです。</p>
<p>—— 卒業後あなたは、生身のからだと人工物である人形、その双方を素材として振付家・演出家・ヴィジュアルアーティストとして創作を始められます。そして６年後の05年に『I Apologize』『Une belle enfant blonde』をたずさえアヴィニヨン演劇祭に登場されます。 </p>
<p>GV　今年でアヴィニヨンは三度目になりますが、初めて招聘されたとき私はまだ29歳で、いまと同様かなり過激な作品をつくりつづけていたため、このような歴史あるフェスティバルに参加するのは無理だろうと思いこんでいました。けれど当時アソシエート・アーティストを務めていたヤン・ファーブルが私のことを強く押してくださり、芸術監督のヴァンサン・ボードリエールにも気に入ってもらい、私はアヴィニヨン・デビューを飾ることができたのです。この幸運にはとても感謝しています。</p>
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		<title>Interview ロメオ・カステルッチ / 演出家</title>
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		<pubDate>Thu, 10 Dec 2009 17:37:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[Theatre]]></category>

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		<description><![CDATA[現代演劇界における異端の創造者。イタリア人演出家ロメオ・カステルッチには、アーティストというより「創造者」という称号が似つかわしい。それほど彼の生み出す作品群は、たった独りの人間によるものだとは思えぬほど圧倒的な知的精度とヴィジュアルイメージで観客に迫りくる。なかでも今回日本で上演されるダンテの『神曲』三部作は、鬼気迫るカステルッチの才能をみせつける大作群。この舞台に関して演出家本人に、今年４月ロンドンで取材を行った。強靱なロジックに裏打ちされた発言が、この創造者の尋常ならざる特異さをあらわしている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/12/due-300x225.jpg" alt="Romeo Castellucci" title="Romeo Castellucci" width="300" height="225" class="alignleft size-medium wp-image-608" /></p>
<p>——今回、日本で上演されるダンテの『神曲』三部作（地獄篇・煉獄篇・天国篇）は08年度のアヴィニヨン演劇祭で世界初演され絶賛された作品です。地獄篇がヴィジュアルシアター、煉獄篇が物語演劇、天国篇がインスタレーションと異なるかたちで発表されました。なぜこのような創作手法をとられたのでしょうか。<br />
ロメオ・カステルッチ（以下ＲＣ）：ひとつ言えることは、私はここで『神曲』の解説を試みようとしたわけではないということです。ダンテはあまりにも偉大であり、あまりにもその作品が壮大なため、それそのものを形にしようとすることがまず不可能。そこで私はダンテに挑むにあたり、ダンテの本を閉じることから始めました。そしてこのイタリア語の父とされる国民的詩人が、その想像力によりこの世に存在しない世界をつむぎあげたのと同様に、私も自分の想像力を頼りに創作の旅路に挑むことにしたのです。そして最終的には、インフェルノ（地獄）、プルガトリオ（煉獄）、パラディソ（天国）という三つの言葉が象徴する「人間の状態」を描くことに決めました。とはいえ地獄、煉獄、天国は、個々人のなかに異なるかたちで存在します。また個々の生活のなかでも異なる時間に存在します。こうした理由からおのずと、三つの作品は別々の手法でかたちづくられていくことになりました。<br />
</br><br />
</br><br />
——『地獄篇』では名もなき無数の人々が登場すると共に、アンディ・ウォーホールが現れます。なぜウォーホールなのでしょう？<br />
ＲＣ：ダンテは地獄の案内人に古代ローマの詩人ウェルギリウスを選びましたが、私はウォーホールを選んだのです。なぜなら彼は、今日の芸術の「匿名性・無名性」という素晴らしい概念を発明した人だから。たとえば彼は自作において、毛沢東の肖像画とバナナの静物画を等価なものとみなしました。つまり彼は描く対象をアイコン化することにより、歴史的背景や文化的な重みというものを無化してしまったのです。そして、すべてを表層的なイメージで捉え「未来には誰もが15分は世界的な有名人になれる」という言葉を放った。私の考えではこの一文は、現代の地獄の門に刻まれる文言にもなりえます。だからこそ私も『地獄篇』において、ウォーホールのように表層的なイメージを収集するかたちで作劇を進めていったのです。<br />
</br><br />
</br><br />
——『煉獄篇』は家族劇。しかも家庭内の暴力の物語でありギリシャ悲劇を連想させます。<br />
ＲＣ：そのとおりです。ギリシャ悲劇において暴力はおもに、血縁関係の物語で頻出します。私はこの事実を参考に、みずから物語を考案しました。と同時に本作では、神学的なテーマも多く採用されています。たとえば「父が息子を生贄にする」という話は、旧約聖書のアブラハムの例を出すまでもなくキリスト教文化に多く見られるテーマです。ですから、劇中、息子が父と登る舞台後方の階段は、生贄を捧げるための山とも捉えられますし、ダンテの描いた煉獄山を象徴する山とも捉えられます。『煉獄篇』は他の二作に比べると、いっけんオーソドックスな演劇的時間が流れているように思えます。けれど、ある目にみえない隠された暴力の瞬間をきっかけに、芝居の性質が急変します。そして写実的な方法論がいっぺんして、夢想的な、まるで子供の夢のような場面がくりひろげられていくことになります。いずれにしろ、私はここで現実世界の何かを説明したいわけではありません。演劇とは、別世界との出逢いであり、この世の解説ではありませんからね。<br />
</br><br />
</br><br />
——『天国篇』のインスタレーションは、どちらかというと美しい至高天よりも地獄の常闇を思わせる作品ですね。<br />
ＲＣ：ダンテの描いた『天国篇』は光への旅路でした。しかし私の作品では、あえて光を否定的な観点から捉えてみました。つまり観客をいったん闇の空間に入れてみることにしたのです。暗闇に包まれた観客の目は、徐々にそれに慣れていきます。そして時の経過とともに、周囲の情報に敏感になっていき、そしてあるときある物体がゆっくりと姿を現してくる。私はこのプロセスそのものを、光のひとつのかたちとしてとらえ提示したかったのです。</p>
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		<title>Paris Report / ジャネット・カーディフ「40 声のモテット」 ニュイ・ブランシュ(3)</title>
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		<pubDate>Sat, 05 Dec 2009 13:08:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[トルコ人アーティスト・サルキスのインスタレーションですがすがしい充足感を得たのち、メトロには乗らず、気ままに夜の散策を愉しむことに。ソルボンヌ大学のあるカルチェ・ラタン地域を通り抜け、セーヌ川を渡り、対岸のシャトレ＆マレ地域へというルートを辿ることに。カナダ人アーティスト、ジャネット・カーディフによる圧巻の音響インスタレーション『The Forty-Part Motet 40 声のモテット』やマーク・ウォリンガーの『Threshhoold to the Kingdom』を観てまわる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/12/IMG_0073-224x300.jpg" alt="IMG_0073" title="IMG_0073" width="224" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-572" />パリは予想以上に小さな街だ。地下鉄駅にして５つほどの距離があったとしても半時間も歩けば余裕で到着できてしまう。しかも今宵は街のいたるところに驚きにみちたアートが設置されている「百夜祭」。好奇心の赴くままに街角に視野を飛ばしていけば、いくらでも疲れ知らずに歩けてしまう。そこで筆者は、先週の稿で書いたように、トルコ人アーティスト・サルキスのインスタレーションですがすがしい充足感を得たのち、メトロには乗らず、気ままに夜の散策を愉しむことに。ソルボンヌ大学のあるカルチェ・ラタン地域を通り抜け、セーヌ川を渡り、対岸のシャトレ＆マレ地域へというルートを辿ることに。観光と芸術鑑賞をかねた、真夜中の散歩に気持ちは弾む。</p>
<p>余談だがそうして夜風に吹かれながらのウォーキングを開始してすぐに、アルことに気づく。ここはフランスのパリだというのに、耳に飛び込んでくる言語の半分が、ハンバーガーの匂いのするブロークンな英語。パリはむろん多国籍な街ではあるけれど、この英語の多さは普通でない。アメリカで発刊されている旅行ガイドブックなどでニュイ・ブランシュが大量宣伝されているのだろうか？　だがもしそうしてこのフェスティバルが、地元民以上に観光客をもてなす産業の一部になっているのだとしたら、それはパリ市長としては願ったりだろう。アートで街のイメージアップを計れると同時に、経済効果も高められるのだから、まさに一石二鳥だ。</p>
<p><em>写真：ドイツ人映像作家メラニー・モンショウの作品を上映していたシャトレ座前は、深夜だとは思えぬ黒山の人だかり。待ち時間を表示する看板を見に行く勇気もなく、後ずさりして帰ってきてしまった。</em></p>
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		<title>Paris Report / サルキス「Litany」ニュイ・ブランシュ(2)</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 02:58:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[夜10時。ダウナーな現代音楽が響くメトロ「Arts et Métiers」駅から地下鉄を乗り継ぎ、トルコ人巨匠芸術家サルキスのインスタレーション作品『Litany』が展示される5区のグラン・モスクに到着。そこには視覚・聴覚・嗅覚のすべてから観客を刺激する、光と水とバラの香による聖なる瞑想空間が作りあげられていた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_562" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/11/DSC52461-300x199.jpg" alt="Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris" title="Sarkis / Litany" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-562" /><p class="wp-caption-text">Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris</p></div>高揚感はメトロを待つときから高められる。地下鉄的構内に響きわたる、どこか夢想的な倦怠感のたゆたう現代音楽。どうやらこれも作品の1つらしい。のちに調べたところによると、これは毎週日曜夜11時からラジオ曲フランス・クルチュール(France Culture)が放送している、かなり前衛的な音響番組ACR(L’Atelier de Creation Radiophonizue)で、13週にわたり放送された音楽をリミックスしたものだそう。世界的マルチメディア・アーティストのローリー・アンダーソンや、リトアニア人の実験映画監督ジョナス・メカスがたずさわった放送回の音楽も含まれているという。</p>
<p>　さて、そんなダウナーな酩酊状態に意識をひきずりこまれそうなリミックス・ミュージックに耳を澄ましながら、いざアール・エ・メティエ駅を出発。途中7番線に乗り換えて、5区にあるプラース・モンジュ駅で下車した。</p>
<p>　このあたりは、いつもなら夜中には閑散とした静けさに包まれる地域。だが今日は目に見えて人通りが多い。しかも彼らがみな同じ方角、トルコ人巨匠芸術家サルキスの作品『Litany』を展示するグラン・モスクに向かっている。この人たちみんな、モスクのなかに入るのかしら。小さな不安が脳裏をよぎる。そして予感は的中。満月を借景に美しいミナレット(尖塔)がそびえるモスクに到着すると、この歴史的建造物の周りをぐるりと、推定400メートルトラック1周半分の行列が取りかこんでいた。そして入口には「待ち時間、約45分」の立て札。帰ろうかな。一瞬、気持ちが折れる。</p>
<p><em>写真：イスタンブール出身の巨匠芸術家サルキスは、パリ市内最大のモスクで光と水と香りを用いたインスタレーション『Litany』を展示。モスク内部、パティオの泉亭から夜空にむかって光線が伸びる。あたり一帯にはバラの香が漂う。</em></p>
]]></content:encoded>
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		<title>Paris Report / 眠らぬパリの芸術祭「ニュイ・ブランシュ」(1)</title>
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		<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 09:34:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.iwaki</dc:creator>
				<category><![CDATA[Art]]></category>
		<category><![CDATA[Travel]]></category>

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		<description><![CDATA[　イベント好きで知られるパリ市長、ベルトラン・ドラノエ氏。その彼が考案し今年で８回目をむかえるアートイベントが「ニュイ・ブランシュ」。直訳するなら白夜祭と題されたこの企画は、その名のとおり、パリ市内で夜っぴいてアート祭りがくりひろげられる。夜７時から朝７時まで、初秋のパリのいたる場所で、世界中の現代アーティストたちによる作品が無料で展示されることになるのだ。筆者はこの祭りに、今年はじめて参戦してきた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><div id="attachment_569" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img src="http://kyokoiwaki.com/ARTicle/wp-content/images/2009/11/DSC52691-300x199.jpg" alt="Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris" title="_DSC5269" width="300" height="199" class="size-medium wp-image-569" /><p class="wp-caption-text">Photo © Marc Verhille/Mairie de Paris</p></div>現在のパリ市長はよっぽどオモシロ好きらしい。<br />
　『リベルテ（自由）に生きる』と題された自伝でも知られるベルトラン・ドラノエ市長は、来年還暦を迎えるチュニジア生まれのリベラルな政治家。毎年６月の最終土曜日に催されるゲイ・パレードで、先陣を切って堂々闊歩するオープンな同性愛者としても知られ、01年に保守系のジャン・チベリ氏に代わりパリ市長に選出されて以後、さまざまなオモシロ企画を実現させている。</p>
<p>　たとえばパリ市内全域を１日１ユーロで利用できる公共自転車レンタルサービス「ヴェリブ」。あるいはセーヌ川沿いの道路を夏の盛りに完全封鎖し人口海浜をつくりあげてしまう「パリ・プラージュ」。当初は「いったい誰がセーヌ川沿いでビキニを着るんだ」と白眼視する人もいたものの、以外や以外、これら企画は多くのパリ市民に受け入れられ予想以上に好評をはくしている。</p>
<p>　なかでもドラノエ市長の祭り好きな血がじかに反映されている企画が、毎年10月の最初の週末に行われ、今年で８回目をむかえる「ニュイ・ブランシュ」。直訳するなら白夜祭と題されたこの企画は、その名のとおり、パリ市内が夜７時から翌朝７時まで夜っぴいて祭り騒ぎをくりひろげる催し。ノートルダム寺院からルクセンブール公園、パリ市立劇場からスーパーマーケットＭｏｎｏｐｒｉｘの店内にいたるまで、すでに肌寒い初秋のパリのいたる場所で、世界中の現代アーティストたちによる作品が無料で展示されることになる。</p>
<p><em>写真：カナダ人アーティスト、ミシェル・ド・ブロワン(Michel de Broin)による屋外インスタレーション作品『La Maitresse de la Tour Eiffel（エッフェル塔の愛人)』。ルクセンブール公園に巨大クレーンでミラーボールを吊り下げ、パリの夜をまば ゆい光の空間に変えていた。</em></p>
]]></content:encoded>
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