Report / 「春琴 Shun-kin」

December 22, 2010

画像/『春琴』
現出しては溶解する
英国人演出家の見る、
文豪谷崎の陰翳の美。

2010年12月5日 世田谷パブリックシアター
【演出】 サイモン・マクバーニー
【作曲】 本條秀太郎
【美術】 松井るみ+マーラ・ヘンゼル
【出演  深津絵里、立石凉子、チョウソンハ、
     高田恵篤、笈田ヨシ、本條秀太郎など


現れては消え、為されては崩される。演出家サイモン・マクバーニーによる舞台『春琴』では、世界のすべてが灯火のもとおぼろに揺らいでいる――。記憶の残像も、心情のひだも、三味線の響きも、紙片に映しだされる幻影も。一瞬、その場に輪郭を為したかと思うと、次の瞬間にはあたりの闇に呑まれている。だが現れる美がほんの刹那だからこそ、観客の脳裏には、その墨絵が人生の強烈な記憶のように刻まれる。鬼才マクバーニーはここで文豪谷崎のつづる『春琴抄』の絵の数々を、舞台に現出させては溶解させ、『陰翳礼賛』で称揚される儚くも繊細な美をみごとに体現する。

 原作『春琴抄』では谷崎本人が『鵙屋春琴伝』という小冊子を手に、大阪下寺町にある盲目の美女・春琴とその奉公人で事実上の夫であった佐助の墓参りをする場面からはじまる。いわば現在を生きる作家本人が、登場人物たちの世界を訪ねて物語る二重構造を採用しているわけだ。マクバーニーは本作でこの構造をさらに多層化。登場人物の世界と、その世界について語る谷崎、さらにその外側に『春琴抄』を現代のラジオドラマのために朗唱するナレーターを用意する。結果、春琴と佐助の俗的な契約を超えた形而上的純愛が、陰翳の美が破壊された現代のネオン社会においても、日本人の心のなかに仄かに生きつづけることが示唆される。ナレーターの熟年女性は携帯電話の向こうの情夫との、いわば非生産的な関係性を、肯定も否定もせず時間の流れるままに受け止めていく。

 春琴役は、英国ブラインド・サミット・シアター製作による精巧な童女の人形と、人形ぶりをする女性役者、そして生身の人間(深津絵里)の三人により演じられる。佐助役もその年代に応じて、三人の男優が演じわける。この演劇手法により、盲目の春琴が静穏な仮面のむこうに、どれだけ強欲で嗜虐的な魂を隠し持っているか、という女の表裏がうまく表現される。と同時に、春琴の生身の美貌を、深津によりほんの10分体現することにより、やはり、すべては現れては消えていく流転のさなかにあるという世界の儚さが強調される。

 役者陣の演技は、3年間の断続的な世界ツアーを経て、無駄の削ぎ落とされた茶器のようになめらかで美しい。ことにアンサンブル全体の息が見事で、気づくと、さきほどまでそこに無かった、和室の襖や、ひともとの松が、彼らの扱う数本の木棒により整然と立ち現れている。若かりし佐助を演じるチョウ・ソンハの、三味線の弦のように隅々まで緊張感のゆきとどいた身体性に目を奪われた。
今回の再々演では、春琴と佐助の愛がやや簡潔化されすぎているように思えた。ただ生のすべてが機械的に処理される殺伐たる現代社会からすれば、そこには皮膚に沁みこむほど肌理細かい人心の美がまちがいなくある。劇場を出ると、満目騒音の東京景色が暴力的にさえ思えた。

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