Interview 岩松了 / 劇作家・演出家

February 1, 2010

33歳、人生の一大転機

 大学を出た岩松が辿り着いたのは、ドストエフスキーやスタンダールやアラバールとはうってかわって、お笑いを売りにする劇団東京乾電池。主宰者は柄本明。そこでなぜか彼は「大学に行ってるからインテリだと思われ」流れで演出を手がけるにことになる。これまた、格別やりたかった仕事ではなかった。

「演出って言っても、役者の芝居を見て笑ってあげるような作業ですよ。乾電池は即興で芝居を作る劇団でしたから。ただ、最後にそのおもしろかったものを一本につなげて作品にするというのが僕の役目だったんです。当時の乾電池はテレビに出たりもして、わりと人気劇団になっていたから。今はなき渋谷のジャンジャンで年4本とか芝居を打っていて。それなりに食っていけたんです。だから僕は好きでもない演劇をやって、バンバン笑いを取って、こういうの自分に合わないんだけどなぁ、とか思いながらも気づいたら30歳を過ぎていた」

 33歳、岩松了、結婚。いまだお笑い劇団で、演出的なものを手がけていた。みずからの本音をある意味裏切りつづけていることに対する、不潔な怒りにも似た衝動が吹きだしていた。

「人生を変えるなら今しかない」

 この絶対純度の衝動に押されて岩松は捨て身の処女戯曲『お茶と説教』を書き上げる。誰が面白いと思わなくてもいい。俺は自分が面白いと思えるものを一本書き上げて、演劇と決別してやる。ときに、こうした純粋な怒りは純粋な美にもなり変わる。ゆえに腹をくくった岩松のこの処女戯曲は、デビュー作にして演劇界に予想を遙かに越える波紋を呼んだ。

「あの戯曲を書いているときは、自ら学んだことがすごく多かった。何より確信をもって学んだのは『人は横に並んでる』ということ。それまでは才能があるやつがてっぺんにいて、そこから縦に一列に人は並んでると思ってたんですけど。あの戯曲を書くにあたり、何か肝が据わたのか、人はみな横一列に並んでるだけだ、だから自分が面白いと思うものを書けばいいという心境になれた。他人を見て自分が勝ってるか劣ってるか、と気にしてるうちは全然ダメなんですよね。それは青春の愚かしさというもので、自己査定と他者査定が違うことにフラストレーションを覚えるから悲劇を生む。でも実は他者査定なんて関係ないんですよ。ただ自分が面白いと思うものを書けばいい」

Pages: 1 2 3 4 5 6

This entry was posted on February 1, 2010 at 22:55.

Leave a Comment