Interview 岩松了 / 劇作家・演出家

February 1, 2010

演劇になじめない自分

役者としての初舞台はスペインの劇詩人フェルナンド・アラバールの『祈り』。現在キャスターとして活躍する田丸美寿々との二人芝居であった。そしてこの初舞台にもまた語るにたる熱いエピソードがある。

「木造校舎に新聞紙を敷きつめたそっけない舞台。そこで僕と田丸がふたりで芝居をしていたら、なんとその本番中に、演戯集団ゾクの人たちが決起して公演を潰しにきた。彼らはあの竹槍公演のあと、スローガンをふたつ加えていて。それが『他の公演はみな潰す』『われわれ自身は絶対に公演しない』だった。これはもう完璧でしょ。それでそのスローガンどおり、竹槍を手に僕らの公演を潰しにきたんです。そうしたら、僕らの演出家がまたやたら血の気の多いやつで。何を血迷ったのかシンナーの瓶に火をつけて舞台に投げこんだ。舞台一面には新聞紙が敷き詰められている。だから、予想外にぶわーっと火が燃え上がってね。まるで戦渦の大騒動。お客さんが叫びながら出口に殺到するわ、竹槍もったやつらと演出家が戦ってるわ、火がどんどん木造校舎を燃えつくしていくわ。それで、嵐が去ったあとの客席にはハイヒールのかたっぽだけが寂しくポツンと残っていた。それは絵としてよく覚えてる。しかも運が悪いことにあれだけ舞台は燃えたのに、壁にペンキで書き殴ってあった出演・岩松了という名前だけは消えてなくて。あとで教務課に呼び出されてかなりこっぴどく怒られました。これが、僕の初舞台」

 団塊の世代と呼ばれる人々は、こうした血気盛んな青春エピソードを、命を燃やした輝ける時代として「いやあ、あの頃はねぇ……」と旨みたっぷりに物語ることが多い。だが岩松の場合は珍しく、この傾向にあてはまらない。前述のような青春譚を口にしているときでさえ、どこか俯瞰目線が残るというか、その場全体を演出家目線で眺めているような冷徹さがある。そうでなきゃ嵐のあとのハイヒールを覚えてなんかいやしない。しゃかりきに生きながらも、どこか無条件には乗りきれない。そんな人間としてまっとうな「恥じらい」が岩松の人間性の根には、この頃から存在する。

「それが恥じらいなのかどうかは分からないけど、でも確かに『なじめないな』という感覚はいつもどこかでありましたね。だから大学在学中に自由劇場の研究生になったときも、串田和美がサム、吉田日出子がデコ、って呼ばれていることになんか違和感があって。すぐに辞めてしまった。だいたい僕、演劇が好きでやってたわけでもなんでもないですし」

 演劇は好きじゃない、自分の居場所じゃない。岩松はずっと心の底でそう所在なくつぶやいてきた。ロシア語をもっとまともに勉強していれば「今ころプーチンの横でスピーチをしていたのでは…」。いまだそんな空想にふけることもある。だが現実世界では、大学中退後も芝居との関係が腐れ縁のようにつづいていく。

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This entry was posted on February 1, 2010 at 22:55.

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