Interview 岩松了 / 劇作家・演出家
子供は見たままを言葉にする生き物だ。
ポストが赤い、空が青い、たけちゃんが泣いちゃった。五歳児の言葉には、視覚と言語の一本道があるだけ。まったく迷いがなくすがすがしい。だが子供が秋空を仰いで「青すぎる」とつぶやいたらどうだろう。まずそんな子供がいたら気味が悪いし、いったいそのような生理にいたるまで、どんな感情的変節があったのかその子の心理を深読みしたくなる。
劇作家・岩松了のとる作劇法がまさにこれ。「!」と息を呑むような意想外の言葉を登場人物に吐かせておき、その深意をふかぶかと観客に読みこませる。つまり役者が口にするセリフをただ追っていけば「お話が楽しめますよ」という五歳児の一本道のような短絡思考はここにはなく、観客はつねに、セリフの裏にある女の枝毛のように複雑な心理をくみとっていかねばならないのだ。それゆえ岩松の芝居はたまに「わからない」とぼやかれたりする。とくに、言葉=感情だと信じこんでいる無邪気な大人たちに。
もちろん、そんな岩松にも子供時代はあった。しかも彼は別に空を見上げて「青すぎる」とつぶやくような変節少年ではなく、長崎・佐世保の野っぱらを駆けまわるいたって普通の男の子であった。六人兄弟の末っ子で名前は「了」。了君は意外なことにスポーツ少年であったという。
「今でもスポーツは大好きなんですけど、僕、中高とずっと野球部なんですよ。それに中学時代なんて350人以上いる生徒のなかでマラソンの成績が4番で。駅伝の選手になったりもして。放課後になると毎日毎日、校庭のトラックを何周も走りこんでいた。疲れ果ててもうダメだて思ったときに、隣で併走する先生に『岩松まだこっからだろー!』って叫ばれたりしてね。そんな熱い思い出があります。だから実は僕、今でこそ作家という職業をやってますけど。小学校のころは本を一冊も読んだことがないような少年だったんですよ」
文学が身近になかったわけではない。むしろ岩松の母は強い文学癖があり、幼き了少年に対しつね日頃から「本を読め」とけしかけてきた。だが母親に「やれ」と命令されて「はい」と従順に応えるような男の子はめったにいない。岩松もその例に漏れず、母にやたらと読め読めと強制されるのがわずらわしく、野っぱらを、校庭を、野球場を日々駆けまわりつづけた。だが中学三年の頃から、彼のなかで何かが変容しはじめる。友情、恋愛、受験、未来。少年期と青年期の端境に立たされた岩松は、人生には野原を走る以外にも考えねばならないことがあるらしい、という崇高な疑念にぶちあたる。そしてふと気づけば、あれほど興味のなかった文学に目覚めていた。
「中学三年から高校を卒業するあたりまでは、とにかく文学に憧れつづけた時間でした。そのときいちばん感動したの川端康成の『伊豆の踊子』。と、夏目漱石。とにかく本を読まなければ人生はわからない、と思って手当たり次第に本を貪った。あと文学に浸ったわけには、受験勉強から逃げたい、という動機もあった。僕は勉強ができたので高校の先生にやたらと可愛いがられて。そいつらが東大行け東大行け、ってうるさかったんですよ。それが本当に嫌でね。僕は受験勉強するやつなんてバカだと思ってましたから。とにかく本を読んで、野球部に時間を費やして、受験から遠ざかっていた。ただ、無条件に東京に行きたいという衝動はあったんで。上京する理由づけのために大学には行きたくて、一年浪人して東京外国語大学のロシア語科に入学することにしました」
This entry was posted on February 1, 2010 at 22:55.