ピーター・ブルック、太陽劇団のムヌーシュキン、ジンガロのバルバタス。 彼らは揃って親日家なことも幸いし、過去に豊かな演劇体験を極東の島国まで届けてくれた。だが厳密に語るなら、それはクリエイション全体の、ほんの片鱗にも満たないかもしれない。パリとその周辺にある個々の常設劇場に足を運び、そこでの体験にコミットすることではじめて、彼らの総合芸術の真価はわかる。落葉に濡れる初冬のパリ。巨匠たちの三つの常設劇場を探訪した。 »
ピーター・ブルック、太陽劇団のムヌーシュキン、ジンガロのバルバタス。 彼らは揃って親日家なことも幸いし、過去に豊かな演劇体験を極東の島国まで届けてくれた。だが厳密に語るなら、それはクリエイション全体の、ほんの片鱗にも満たないかもしれない。パリとその周辺にある個々の常設劇場に足を運び、そこでの体験にコミットすることではじめて、彼らの総合芸術の真価はわかる。落葉に濡れる初冬のパリ。巨匠たちの三つの常設劇場を探訪した。 »
ジョエル・ポムラ。「フランスでいま面白い芝居家は誰だ」という問いに対し、十中八九帰ってくるのがこの名前。エリート主義な仏演劇界では珍しく、一役者からの叩きあげで作家兼演出家として独り立ちした逸材。陰鬱ながらも生の彩やかさにみちたポエジーと、多義的な読解を可能にするナレーションを軸に、現代社会へ訴求力のあるリアル叙情詩を提示してみせる。そんなポムラの最新作「Ma chambre froide(わたしの貯凍室)」をオデオン座附属の小劇場アトリエ・ベルティエで観劇した。 »
上演時間75分。たったひとりのダンサーがルネ・オーブリーの神秘的な音楽にあわせ、舞台上で5人のレディを踊りわける。あるいはそれは、人生の春夏秋冬の踊りわけだともいえる。現在のダンス業界の一般常識では、フルレングスの作品というと、美術やセットや人海戦術で豪華さを出すのがあたりまえとなっている。だがかつて70年代にパリ・オペラ座バレエ団から「エトワール兼振付家」の名誉職を得たカールソンは、身ひとつで舞台に立ち、一時間以上の舞台を堂々持たせることができた。この偉業の後釜をいったい誰が引き継ぐのか。当時いろいろな情報が噂され、かのシルヴィ・ギエムも依頼を断るという裏事情があったすえに、08年からこの大任を受け継ぐことになったのがフィンランドの男性振付家テロ・サーリネンだ。カールソンの代表作のひとつ「ブルー・レディ」のRevisited(再訪)版を、パリ郊外のThéâtre Cachanにて観劇した。 »
ロンドンのバービカン劇場やパリ市立劇場での上演を経て、日本での再々演を迎えたサイモン・マクバーニー演出『春琴』。谷崎潤一郎作『春琴抄』に『陰翳礼賛』の美学を重ね、現れては溶けゆく、数々の墨絵が視覚化されていく。 »
視野をひろげると、あたりは地平線の先の先まで、空と石と草の風景。耳には雄大な大西洋のさざめきと微かな鳥のさえずりがときおり風に乗って響き、その飾り気のない石と海の世界のすべてを一種独特の「寡黙さ」が包みこむ。荒蕪の地アラン島にて、静寂の時を味わう。JAL機内誌『AGORA』の記事を一部改訂して再録。 »
人間の過去は、必ず美化される。ある一瞬の笑顔が時のなかで倍加され、他の無表情で退屈な時間を呑みこんでしまう。若きアルゼンチン人演出家フェデリコ・レオンは、この甘やかに倍加された記憶時間に観客を誘ってみせる。そして特別な一瞬が、一時間にも、一生にも感じられる時空を紡いでいく。京都国際舞台芸術際で上演されたアルゼンチンの若き演出家の最新作への劇評。 »