演劇

【Article】真実という名の禁忌を暴く「魂のポルノグラフィー」:アンジェリカ・リデル インタビュー

撮影:石川純

撮影:石川純

演出家・俳優・詩人のアンジェリカ・リデルは「真理の受難者」だ。偽善と体裁が猛威をふるう、見てくればかりの現代社会で、官能と精神という眼にみえないなにかを舞台に結晶化しようとしてきたがゆえに、結果、因襲からはずれた異端者として現代社会から排斥されてきた。それゆえ、母国スペインの少なくないフェスティバルは、リデル作品の上演を控えてきた。93年に設立されたアトラ・ビリス・テアトロ(ラテン語でアトラ・ビリスは暗い感情の意)の転機は2010年に訪れる。アヴィニヨン演劇祭で『El ano de Ricardo(リチャードの年)』と『La Casa de la fuerza(力の家)』を上演し、フランスの知識人たちに衝撃を与えてから、おもにアンダーグラウンドで評価されていたリデルの活動領域は一気に世界へと広がったのだ。

「憤怒のスペイン人」(ルモンド紙)「観客を恐怖に陥れる」(リベラシオン紙)と、フランス各紙はこのカタルーニャ出身の演出家の登場をセンセーショナルに煽った。だがリデル本人は、なにも「センセーショナルなこと、前衛的なこと」をするつもりはない、とじつに淡々としている。「中世の典礼劇や神秘劇」に影響を受けているという彼女は、新しいものよりもむしろ古いものに惹かれ、例えば、ニーチェ、バフチン、バタイユ、アルトーなどを引用しつつ、まるでベッリーニの宗教画のように戦慄的な美しさを誇る「残酷な美学(Aesthetico Brutal)」の画布を舞台上に描きあげていく。
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【ARTICLE】敵も血もない、現代の「戦争物語」

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Grounded written by George Brant

 

古代ギリシャの時代から「戦争」はポピュラーな演劇の題材だった。トロイア戦争に出陣したアガメムノンも、ノルウェー軍と渡りあった武将マクベスも、共に故郷に戻り自宅で恐妻とやりあうまでは、戦地の敵と血まみれになり闘った。だが、2013年現在の戦争演劇はやや趣が異なる。まず敵が見あたらない。血や暴力が見えない。さらに言えば、登場人物が果たして「戦時下」を生きているのかさえ定かでない。今年のエジンバラ演劇祭で初演され話題を呼んだ一人芝居『 グラウンデッド』(2013年、ゲイト・シアターにて観劇)は、筆者の知る限り、いわゆる現代のドローン戦争を初めて真正面から扱う極めてアクチュアルな演劇作品であった。

登場人物は「パイロット」と名乗る女性空軍兵士(ルーシー・エリンソン)ひとり。昔から「めちゃくちゃやりすぎ」で男勝りな操縦士であった彼女は、出産を機に「青の世界」から「灰色の世界」に転属される。つまりラスベガスにある安全な軍用基地で灰色のスクリーンを12時間にらみ、アフガニスタン上空を飛ぶ無人兵器を遠隔操作して、ただのピクセル画像でしかない敵(のように思えるドット)を爆撃する任務に就くのだ。

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【ARTICLE】コミューンという共同体への憧れ

thumbs.php                           photo:Swamp Club © Martin Argyroglo

フランスの知人宅で一家団欒の食卓に加えてもらった際、驚いたことがある。中学生の息子さんが母親に塩を取ってもらうとき、砕けた言い方ではあるものの、文末に「シル・ヴ・プレ(すみません)」と付けたしたのだ。日本人同士だったなら「母さん、塩」で済んでしまう一文。だが国が変われば内輪であっても、きちんと他者への配慮を添える。家族といえどもあくまでもこの国では、母も子も利権を異にする別個人なのだと思わされる瞬間だった。

ことほどさように私と他者が明解に区分される社会に生きるためか、欧州演劇界ではときに、財産、時間、労働、価値尺度などをみんなでシェアするコミューンというものに対しての非現実的な憧れを目にすることがある。特に現代のような、ごく一部の人間による世界の私有財産化が極度に進んだ社会においては、共産主義的コミューンモデルが理想郷のように思えるのかもしれない。

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【ARTICLE】 言葉の「錯視」で作られるリアル

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言語の限界性から出発する演劇の系譜はアルトー、ベケット、現代のロメオ・カステルッチにまで連なる。「言語の敗北を考えることで、彼らは意味の伝達を試みた」とは、カステルッチによる先人ふたりの評だ。つまり彼らはみな、幾重にも重なる現実世界の意味の多声性を、たった一つの声にフラット化することに疑いを感じ、窮屈な言語世界から離陸して、体、光、(無)音、映像、オブジェといったシニフィエの空で自由に飛びまわることを選択したのだ。すでにこうした言語の無化実験が演劇では行われてきたにも関わらず、いまふたたび欧州シアターシーンでは、言語への疑義を問う作品が多く散見される。

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【ARTICLE】現代演劇が問う「効率性」の危機

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「効率性」という単語が流行っている。なにもそれはイタリアの国内総生産より多くのGDPを産出する巨大金融街ザ・シティで、アドレナリンを煽る文句として流行っているというだけではない。欧米圏の演劇界ではここ数年、効率性、より平たく言えば金稼ぎのための効率性を、芝居の議題として果敢に取りあげつづけているのだ。例えばソレは、日本でも翻訳上演された英国人劇作家ルーシー・プレブルの『エンロン』(2009年、ロイヤルコートシアター観劇)では、階層を無駄なく駆けあがってきた出世男の悲喜劇人生の起因として語られる。また独人劇作家ファルク・リヒターの『氷の下』(2013年1月、シャウビューネ観劇)では、一分一秒を無駄なく金換算ための暗黙の条件として示唆される。

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