ロメオ・カステルッチ

【Interview】ロメオ・カステルッチ / 演出家

due-300x225——今回、日本で上演されるダンテの『神曲』三部作(地獄篇・煉獄篇・天国篇)は08年度のアヴィニヨン演劇祭で世界初演され絶賛された作品です。地獄篇がヴィジュアルシアター、煉獄篇が物語演劇、天国篇がインスタレーションと異なるかたちで発表されました。なぜこのような創作手法をとられたのでしょうか。

ロメオ・カステルッチ(以下RC):ひとつ言えることは、私はここで『神曲』の解説を試みようとしたわけではないということです。ダンテはあまりにも偉大であり、あまりにもその作品が壮大なため、それそのものを形にしようとすることがまず不可能。そこで私はダンテに挑むにあたり、ダンテの本を閉じることから始めました。そしてこのイタリア語の父とされる国民的詩人が、その想像力によりこの世に存在しない世界をつむぎあげたのと同様に、私も自分の想像力を頼りに創作の旅路に挑むことにしたのです。そして最終的には、インフェルノ(地獄)、プルガトリオ(煉獄)、パラディソ(天国)という三つの言葉が象徴する「人間の状態」を描くことに決めました。とはいえ地獄、煉獄、天国は、個々人のなかに異なるかたちで存在します。また個々の生活のなかでも異なる時間に存在します。こうした理由からおのずと、三つの作品は別々の手法でかたちづくられていくことになりました。

——『地獄篇』では名もなき無数の人々が登場すると共に、アンディ・ウォーホールが現れます。なぜウォーホールなのでしょう?

RC:ダンテは地獄の案内人に古代ローマの詩人ウェルギリウスを選びましたが、私はウォーホールを選んだのです。なぜなら彼は、今日の芸術の「匿名性・無名性」という素晴らしい概念を発明した人だから。たとえば彼は自作において、毛沢東の肖像画とバナナの静物画を等価なものとみなしました。つまり彼は描く対象をアイコン化することにより、歴史的背景や文化的な重みというものを無化してしまったのです。そして、すべてを表層的なイメージで捉え「未来には誰もが15分は世界的な有名人になれる」という言葉を放った。私の考えではこの一文は、現代の地獄の門に刻まれる文言にもなりえます。だからこそ私も『地獄篇』において、ウォーホールのように表層的なイメージを収集するかたちで作劇を進めていったのです。
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Posted on by K.Iwaki in ARTICLES / 記事
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