【ARTICLE】敵も血もない、現代の「戦争物語」

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Grounded written by George Brant

 

古代ギリシャの時代から「戦争」はポピュラーな演劇の題材だった。トロイア戦争に出陣したアガメムノンも、ノルウェー軍と渡りあった武将マクベスも、共に故郷に戻り自宅で恐妻とやりあうまでは、戦地の敵と血まみれになり闘った。だが、2013年現在の戦争演劇はやや趣が異なる。まず敵が見あたらない。血や暴力が見えない。さらに言えば、登場人物が果たして「戦時下」を生きているのかさえ定かでない。今年のエジンバラ演劇祭で初演され話題を呼んだ一人芝居『 グラウンデッド』(2013年、ゲイト・シアターにて観劇)は、筆者の知る限り、いわゆる現代のドローン戦争を初めて真正面から扱う極めてアクチュアルな演劇作品であった。

登場人物は「パイロット」と名乗る女性空軍兵士(ルーシー・エリンソン)ひとり。昔から「めちゃくちゃやりすぎ」で男勝りな操縦士であった彼女は、出産を機に「青の世界」から「灰色の世界」に転属される。つまりラスベガスにある安全な軍用基地で灰色のスクリーンを12時間にらみ、アフガニスタン上空を飛ぶ無人兵器を遠隔操作して、ただのピクセル画像でしかない敵(のように思えるドット)を爆撃する任務に就くのだ。

米国政府は2004年以降、アフガニスタンとパキスタンの国境線、通称デュアランド・ラインで「タリバン狩り」と称して爆撃を繰り返し、多くの無実な文人を殺害している。近頃はアムネスティ・インターナショナルなどが、その一連のドローン攻撃が国際法に反する超法規的な作戦であるとして米国を糾弾している。またパキスタンやイエメンなどの被害国では、犠牲者の窮状を訴えるドキュメンタリー映画が制作はじめている。しかし本作『グラウンデッド』(室内に閉じこもって、地に足をつけて、の二重の意味)では、横暴な米国政府と悲惨な犠牲者、という紋切り型な構図の先を行き、ドローン戦争の被害は加害者本人にも及ぶことを明かす。もちろん身体的ではなく、心理的な被害だ。

劇中、パイロットは「戦争勤務」を終えて自宅に戻っても軍服が脱げない心理状態に陥っていく。アフガニスタンの人々が自分と同じ車種の車を運転していたり、自分の娘と同い年ぐらいの少女を誤って(おそらく)殺害してしまったりすることで、こちらとあちらの境界線が溶解し、非日常と日常を区別できなくなっていく。彼女は自分の心理的混乱を、ユーモラスにこう訴える。「もしもオデュッセウスが毎晩自宅に戻ってきたら、物語にならないでしょ」。

実在の無人機パイロットとのメールのやりとりを通して執筆されたという本作は、観客を、トラウマ症状のひとつとされる「感覚の異様な切迫度」で飲みこむ。終演後、手の平に爪痕が残るほど握り拳に力が入る。この括弧付きの「戦争物語」が、ロンドンの小劇場の一握りの観客にしか伝わらないことを悲しく思う。だが同時に、決して大文字のヒストリーにはなりえぬ物語を、現実にある経験として伝えるには、演劇という肉体を伴うメディアがとても有効なことを再認識した。

(初出:シアターガイド2013年12月号)

Posted on by K.Iwaki in ARTICLES / 記事
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