【BLOG】2020年の「芸術の自由」

「いまの空気は、戦争前の空気に近い」と述べられるご年配の方々が大勢います。好きなことを自由に表現することが許されない、なんとなく汲々とした危険な空気が世の中に充満している、と。私は戦争世代ではないし、果たして実際のところ、時代の異なる二点で似かよった空気が流れているのか、正直、肌感覚ではわかりません。けれど空気云々以前に、特定秘密保護法案が制定され、日本版NSC設置法案が成立し、さらに来年1月には戦時中の情報局をほうふつとさせる 言論統制機関「内閣情報局」の設置が予定されている、というファクトを羅列してみると「これは普通じゃない」という察しぐらいはさすがにつきます。多少なりとも文筆活動に携わる身として、また遠巻きながら芸術活動に関与する人間として、今後の日本の表現活動全般は「どうなってしまうのか?」という危機感がつのってくる。芸術の、表現の自由は、日本では2020年に向けてどうなっていくのだろう。

少し調べてみたところ、 欧州連合加盟国28国のうち17の国々では、国民の基本的人権として芸術の自由が憲法で保障されています。例えば、オーストリアでは基本的市民権で「Freedom of the Arts(芸術の自由)」が基本権保護領域として挙げられています。またドイツ基本法5条3項では「The arts and science, research, and teaching shall be free(芸術、科学、研究、教育は自由であるべき)」と明記され、芸術と学問の自由が護られています。意外にも、フランス共和国憲法にはこの「芸術の自由」が記されていません。「教育、専門訓練、文化を利用する、子供と大人の対等な権利」という一文があるのみです。では日本ではどうか?

ドイツの憲法学者クラウス・シュテルンによると、1946年に制定された日本国憲法は、ドイツ基本法と異なり、文言上、芸術の自由を保障する基本権を規定していないそうです。つまりは憲法に「Freedom of Arts(芸術の自由)」という言葉は登場せず、なんとなく似通った文言でお茶が濁されている。例えば、日本国憲法23条では「学問の自由(大学の自由)」が保障されています。さらに日本国憲法19条では「思想の自由」が定められています。そして21条では「言論およびその他一切の表現の自由と、検閲の禁止」が説かれています。けれどシュテルン氏の言うとおり、文言上、芸術の自由という表現は見当たらない。

もちろん「芸術の自由」を語ったところで、そもそもの「芸術の概念」がフィックスされていないことには、保護領域が定まりません。そして芸術の概念をフィックスするなんてことは、ほぼ無理です。けれど、だからと言って、性的描写は芸術表現とは言えないと発禁処分にしたり、政治表現が現行のガバメントの意向と異なるため上演禁止にしたり、といった理不尽が許されていいわけではありません。ちなみにシュテルン氏は、ドイツにおける芸術の自由に関する連邦憲法裁判所の重要判例を引いて、以下のように「芸術の自由」を定義しています。

「『芸術』という生活領域は、芸術の本質によって形成された、芸術のみに固有の構造メルクマールによって規定されなければならない。……芸術は、第一義的に、伝達なのではなく、芸術家の個人的人格の表出である」

つまり、性描写はコンビニに置かれたポルノ雑誌のメルクマール(価値判断)では露悪表現かもしれないけれど、同じ性描写が「芸術に固有の構造指標」によって規定されるとアートになるわけです。また、芸術は、国家ためになる一定のメッセージを喧伝、煽動、普及させるための伝達機能としてあるのではなく、あくまでも、芸術家個人の人格の表出として捉えるべきなわけです。なるほど。私には、実にクリアな芸術の自由の規定なように思えます。

けれど昨今の日本では聞くところによると「芸術で政治を語らないで下さい」とか。「舞台上で性器を出さないで下さい」とかと言ったことを、真顔で、なんら悪びれず、それが「芸術であるか否か」という議論をすっ飛ばして、お願いしてくる上役がいるそうです。こういう人たちに「芸術に固有のメルクマール」とか「芸術は芸術家個人の人格の表出」とか説いても馬の耳に念仏でしょうから意味がありませんが。少なくとも、日本国憲法の「言論およびその他一切の表現の自由と、検閲の禁止」という条項は、彼らの脳内には存在しないのかしら……とちょっぴり首を傾げてしまいます。

太平洋戦争中、劇作家・三好十郎は『三日間』という戦時中の若者のありのままの姿を活写する戯曲を書き上げて、国民演劇用脚本として情報局に提出したそうです。すると「あんまりホントの事が書いてある」という身もふたもない理由で受理されず、上演禁止に追い込まれそうになったそうです(後に、警視庁に内閲してもらったところ上演許可が下りた)。さて、なぜ上演してはならないのか、と演出家が情報局に問うたところ、以下のように役人たちは応えたそうです。

「国民演劇と言うのは、もっと浅くてもよいからパーッとはでに国民を激励するような脚本でなければ困る」

2020年に、東京五輪がやってきます。それに向けて、内閣情報局が設置され、言論統制がもしも多少なりとも行われたとしたら、そのとき、上記の70年前の役人同様に「国民演劇は、浅くてパーッとしたものにしてくれなきゃ困る」と言い放ってくる人間が増えないことを願います。文化の姿は、国の姿に重なります。何を定め、何を導き、何を開いていくべきか。ビジョンのない指導者に、国と文化が冒されないことを、切に、切に願います。

 

Posted on by K.Iwaki in BLOG / ブログ
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