【ARTICLE】レポート:パリ巨匠たちの常設小屋を訪ねて

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ピーター・ブルック、太陽劇団のムヌーシュキン、ジンガロのバルタバス。 彼らはそろって親日家として知られ、過去に豊かな演劇体験を極東の島国まで届けてくれた。だが厳密に語るなら、それはクリエーション全体の、ほんの片りんにも満たないかもしれない。パリとその周辺にある個々の常設劇場に足を運び、そこでの体験にコミットすることで初めて、彼らの総合芸術の真価は分かる。落葉に濡れる初冬のパリ。巨匠たちの三つの常設劇場を探訪した。

始めに訪れたのはムヌーシュキン率いる太陽劇団の〈ラ・カルトゥシュリー〉(写真上)。直訳すると「火薬庫」という意味のこの場所は、19世紀にフランス軍に捨てられた廃屋武器工場を役者自らカナトコを振り上げ3週間でよみがえらせたことに始まる。70年開場当初、「こんな郊外に客が来るのか……」といぶかしむ向きもあったというが、現在では敷地内に太陽劇団のほか四つの劇場と、演劇学校ARTA、仏ヌベル・ダンス界の巨匠カロリン・カールソンのアトリエが年中客足の絶えぬ「劇場集落」を作り上げている。

メトロ1番線の終着駅から無料送迎バスに乗り換え、ヴァンセンヌの森のカルトゥシュリーにたどり着く。と、今回の演目『Les Naufragés du Fol Espoir(愚望におぼれる難破者たち)』のためにお色直しされた演劇小屋が目に飛び込む。飾り文字、色電球——まさに今回の舞台設定となる、20世紀初頭のギャンゲット(大衆キャバレー小屋)そのものだ。

ドンドンドンドンドン!  開演1時間前に扉の内側から快音が響く。ムヌーシュキン自身による「開場の儀式」だ。この音ののち観客は 「accueillis=もてなし」の精神で場内に迎え入れられる。最初の間は、天井高6メートルの木造ロビー。役者と観客がまぜこぜに行き来する室内で、ゆったり手料理を堪能できる。次の部屋は、役者の控えの間。遠慮がちに刺繍レースのカーテンを開けると彼らの化粧風景を覗き見できる。さらに奥に進むと、ようやく演技空間が。この14m×14mの舞台面で、じつに10ヶ月に及ぶコレクティブ(ムヌーシュキンが取る集団創作の方法)稽古で完成した3時間45分の大作が上演される。

新作の主題は、一縷の希望をもち未来に賭したヨーロッパ人たちの愚かなまでに勇敢な歴史譚。1914年。サラエボ事件が勃発し、第一次大戦の火蓋が切られたまさにその日に、パリはずれのギャンゲット店「Fol Espoir」の屋根裏で、社会主義の映画監督がジュール・ヴェルヌの『ジョナサン号の難破者たち』を土台に、自主映画を撮りはじめるところから始まる。

本作では1914年現在の出来事と、無声映画の劇中劇が併行して演じられる。たとえば第一場では、ハプスブルク帝国皇太子ルドルフ役を、現代では共同映画監督に扮する役者がクチパクの無声演技で仰々しく演じぬく。場面に登場しない人々は、風を起こし、照明をあて、画面に見切れないよう突っ伏して美術を支え、SFX出現以前のけなげな人力裏方作業にまわる。

最終場、ムヌーシュキンはフランスの政治的英雄ジャン・ジョレスの「自由を基盤に、平等を手段に、友愛を目的に生きよう」という言葉を引用する。そして無声映画の登場人物たちも、第一次大戦中の映画人たちも、それを見る我々現代人も、あいもかわらず「愚かなユートピア願望」を目指してもがいているのかもしれない――、と過去と現在をつなげて幕をおろす。欧州史の延長に我々の「生」が確認できる、社会派ヒューマニストのムヌーシュキンらしい傑作史劇だ。

次に訪れたのは、パリ北東部郊外のオーベルヴィリエ。ここにバルバタスの故郷<ジンガロ騎馬劇場>がある。世界で唯一の騎馬オペラを創るジンガロも昨年で結成25周年。その記念すべき年に、今やヴェルサイユ馬術学校の主任も務めるバルタバスは、新作『DARSHAN』を発表。「人馬一体の美」の原点に回帰した。

ここオーベルヴィリエの専用劇場は席数たった800の小空間。しかも今回はさらに客席を改造し、毎晩たった300人のために名馬の至芸を披露するというから贅沢だ。期待をつのらせ会場入口に到着すると、もぎり係に「今回はいっさい途中退場できませんからね」とやたら強く念押しされる。「何だろう?」と想像力をふくらませ、過去作品の美術などが飾られる円形ロビーでヴァンショー(温ワイン)をいただく。と、上演5分前にようやく片隅にある「Access Théâtre」の扉が開場。名馬たちが両脇で待機する暗闇の厩通路を通りぬけ上演会場を目指す。するとそこには期待を裏切らぬ前代未聞の劇場空間が。ドーナツ型の馬場コースと、その中央に孤島のように浮かぶ円錐状の客席が広がっていた。なるほど、途中退場できないわけだ。

しかもチベット僧の声明のような音が空間に流れると、予想どおり、ゆっくり客席全体が回転しはじめた。そして客席をぐるりと囲むスクリーンに、回り灯籠のように人馬の営みが投射されていく。祭儀の、戦闘の、神話世界の馬。さまざまな人馬の共棲が影絵としてつむがれていく。しかもただの影絵だとこちらが油断していると、実物大の漆黒の名馬がスクリーンを飛びだし至近距離を風のように駆け抜けていく。風も汗も土埃も、体験の一部なのだ。

本作は、過去ジンガロ作品に比べてテーマ性が薄い。だが「馬の美を見せる」という一点に限って評価するなら、300人の選ばれし幸福な観客は、人知を越えた美しさを細緻にまのあたりにすることができた。DARSHANとはサンスクリット語で「訪ねて学ぶ」こと。まさに劇場を訪ねて初めて感受することができる美だ。

最後に訪れたのは、パリ中心部地下鉄ラ・シャペル駅前のブッフ・デュ・ノール劇場。言わずと知れた演出家ピーター・ブルックの古巣だ。74年にブルックがこの建物を発見したとき、ミュージカルなどをかつて上演していた劇場はもう20年以上も見捨てられた、ホームレスが雨露をしのぐ廃虚になっていたという。だが、アフリカ、イラン、インドなどの演劇放浪の旅を経て、どこか落ちつける拠点を探していたブルックにとって、この演劇空間こそがあらゆる意味で理想的あった。「こぢんまりとした暖かいスペースで、観客は俳優といっしょに人生を共有しているという感じがする」(『ピーター・ブルック回想録』)と、その著書で演出家は明かしている。この言葉どおり、ブルックにとって12年ぶりのモーツァルト作品『Une Flûte Enchantée (英訳するならThe Magic FluteではなくA Magic Flute)』の場内は、100分の上演時間を通じて、不思議な「親密感」に充ちていった。

役者は9人、ピアノが一台、おなじみの「何もない空間」には笛と竹棒とカーペットだけ。裸足の役者たちは独語の歌に仏語のセリフを重ね、3ヶ月の稽古で体に染みこませた「Amour(愛)」や「Joie(喜び)」を体現する。自身作曲家であり本番のピアノ演奏を務めるフランク・クラフチクの紡ぐ一音一音も、セリフと等価に雄弁だ。タミーノの勇気、パパゲーノの愚かさ、夜の女王の荘厳さ。発する言葉が何語だろうが、あるいは言語ではなく楽器音であろうが、愛はまさに涙がでそうな愛そのものとして客の魂に「響く」。そして終演を迎える頃には、目に見えぬ親密な質感が客席全体を覆っている。
奇をてらった演出は何もない。だがそこでは、今年34年に及ぶブッフ・デュ・ノール劇場芸術監督の座を退任すること決意をした、百戦錬磨の巨匠にしか成し遂げられない、簡素美の極致が結晶化されていた。

ブルックはこう語る。「演劇とは、単なる場所でもなければ、単なる職業でもない。それはメタファーなのだ。人生の過程をより明確にしてくれるのだ」。この言葉どおり今回パリで観劇した巨匠たちの演劇は、たった3000円前後のチケット代で、人生で追い求めるべきより上質な美や愛や信念の存在に気づかせてくれた。演劇が単なる見世物を越え、人生の質を高める「体験」となってくれた。

<初出:演劇情報誌「シアターガイド」一部改訂>

Posted on by K.Iwaki in ARTICLES / 記事
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