【ARTICLE】現代演劇が問う「効率性」の危機

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「効率性」という単語が流行っている。なにもそれはイタリアの国内総生産より多くのGDPを産出する巨大金融街ザ・シティで、アドレナリンを煽る文句として流行っているというだけではない。欧米圏の演劇界ではここ数年、効率性、より平たく言えば金稼ぎのための効率性を、芝居の議題として果敢に取りあげつづけているのだ。例えばソレは、日本でも翻訳上演された英国人劇作家ルーシー・プレブルの『エンロン』(2009年、ロイヤルコートシアター観劇)では、階層を無駄なく駆けあがってきた出世男の悲喜劇人生の起因として語られる。また独人劇作家ファルク・リヒターの『氷の下』(2013年1月、シャウビューネ観劇)では、一分一秒を無駄なく金換算ための暗黙の条件として示唆される。

あるいは1920年代の女戯曲家ギータ・サワビーによる『ザ・ステップマザー』(2013年3月、オレンジツリーシアター観劇)では、金づる女を手っ取り早くものにするための軽薄男の歪んだ愛状表現の一種として描かれる。金稼ぎのための効率性は、時間を、愛状を、人生そのものをも呑みこむ。だから良識な演劇人と観客は、世界同時不況を迎えて5年ほどが経ついま、魔術的ともいえる効率性への唱和のもと、なぜあらゆる他のものが犠牲にされてきたのか……。その応えを考えさせてくれる芝居を発掘し、創作し、上演し、観劇しつづけているのだ。

フランスの小説化・劇作家のアルベール・カミュは、戦後すぐの1951年に、その著書『反抗的人間』で、「生産に基づく社会は、生産的(プロダクティブ)なだけで創造的(クリエイティブ)ではない」と、効率重視の近代社会を、豊穣な芸術の畑地とは対極にある不毛社会として一刀両断した。このカミュの挑発的発言から半世紀以上が経ついま、世界は悲しいことに相も変わらず創造性よりも生産性を追究すべくまわっている。上述したリヒターの芝居では、効率性へのささやかな反抗として、主人公の中年コンサルタントが「飛行機の搭乗時間にあえて遅れる」挿話が語られ観客の笑いを誘う。笑うだけの余裕があるにも関わらず、いまだに人々が効率性のルールに従いつづけているのはなぜだろう。

ロバート・ウィルソン演出・出演による『ジョン・ケージの「無についてのレクチャー」』(2013年2月バービカン・センター観劇)では「ますます、私たちはどこにも行き着かないように思えてきた。そして、それは喜びだ」という一節が無限ループされる。2013年の時代性を背景に聞くと、生産しないことを美徳とする、費用対効果という意味での効率性に抗うじつにクレバーな文章に思える。さて、日本は良くも悪くも世界屈指の「効率性」に長けた国だ。一分たりとも遅れることなく通勤電車は走りつづける。しかしその機械的な効率性が隙間なく演劇界をも埋めつくすとき、創造性はその生地を失うかもしれない。

(初出:シアターガイド5月号 2013年)

 

Posted on by K.Iwaki in ARTICLES / 記事
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