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【BLOG】2015年

皆様、あけましておめでとうございます。

私事ですが昨年は生活のテンポをつかむために苦労した一年でした。

いままでつづけてきた日本語のジャーナリスト活動とはちがう規律を要求される、英語での論文執筆。さらにそのうえに覆いかぶさる、はじめてのロンドン大学での講師仕事、海外での学会発表、海外でのシンポジウムのオーガナイズ。慣れないことが多く、時間効率がつかめないまま最初の半年は過ぎ去りました。大げさでなく朝から晩まで机にむかっても、納得のいく文章が一行も書けない。駆け出しのライターのような苦行を十年ぶりに味わいました。結構これはしんどかった。

ただ石の上にも三年とはよくいったもので、アカデミズムに入って三年が過ぎようとする九月頃から、それまでの中学生作文が、徐々にではなくいきなり脱皮しはじめました。人がそれなりになるには一万時間が必要だと言われますが、だいたい一日に九時間勉強する換算で三年机に向かえば1万時間です。まあ、まだ一流とは言い難い英語文章ですが、人に読んでもらっても恥をかかない程度のものは書けるようになった気がします。

おもしろいことに、英語の文章訓練を継続していたら、日本語での文章執筆が信じられないほどラクになりました。まるで「大リーガー養成ギブス」をはずした星飛雄馬の気分。いつもの十分の一ぐらいの負荷で単語が、文章が、頭から出てくる。異国語脳で書きつづけることで、母国語脳のポテンシャルを改めて自覚しました。しかしなぜ前者を鍛えることで、後者が成長するのか。脳は不思議です。

ロンドン、パリ、ブリュッセル、ベルリン、エディンバラ、カーディフ、アバリストゥイス、リュブリヤーナ、光州、ハワイ、静岡、国東、広島といろいろと今年も旅をしました。でも旅で得られた「差異」の学びより、今年は自分のなかで文章執筆の「安定的テンポ」をつかめたことのほうが大きな収穫。これは日常のすべてを別の視野から切りとる人格がもうひとり固定化された感じ。だから三つ目の執筆言語を習得したら、また新しい人格が生まれるのかな、とか欲張りに考えてちょっとそれに挑戦したくなっています。

ロンドンで家選びをまちがえて凍死しそうになったり、回教徒の家に住んでキッチンをまったく使わせてもらえず栄養失調になったりしたので、とりあえず新年は、あんまり自分のテンポを大幅に崩さない生活圏で日々を送れたらもうけものです。朝、コーランを唱えてる家で起床すると、自分が誰で何をしてる人間だかわからなくなってきますから。笑いごとじゃない。生活の基盤を整えて、それではじめて仕事の精度もあがるってものです。

今年はマラソンのような一年になりそうです。なのでテーマは「回復力」。ダメージを受けてもすぐにリカバーできる持久力をつけて、淡々とそれなりの速度で休みなく進める一年にしようと思います。

友人、知人、仕事関係のみなさま、昨年は大変お世話になりました。本当に日本に帰国するたびに、自分を認知してくれる誰かが存在して初めて人は「一貫性のある生」を紡いでいけるんだなと実感します。

世界はどんどん物騒になっていますが、皆様の一年が穏やかなものでありますように。

皆様、今年もよろしくお願い致します。

 

Posted on by K.Iwaki in BLOG / ブログ

【BLOG】2014年に向けて

皆さま、明けましておめでとうございます。

年を重ねるにつけ、お正月という節目の尊さを実感しています。子どもの頃は、一年一年がまるで異質の重たさと豊かさをもって自分のなかにずっしりと蓄積していましたが、ミドルエイジのとば口に立つと、どうしてもダラダラのっぺり日常が続くような惰性的な時間感覚に陥ってしまう。そんなとき、まるでさっぱりとお風呂に入るように気分を一新してくれるのが、私にとってのお正月です。これから始まる一年を「充実した良いものにするぞ」という凛然とした志が芽生えてくる。とても清々しい季節です。

去年は、私にとって少しばかり停滞期でした。今年はロンドンの大学院での研究生活も3年目に突入することですし、また、いつまで研究者なんていう贅沢な身分でいられるかも分からないことですし、改めて気を引き締めて、まずは全力で「学者としての経験値を積む」ことに邁進したいと思います。具体的には春頃にロンドンでシンポジウムをみずから企画したり、夏頃に東欧の国際学会にいくつか参加したり、また博士論文完成とはべつに、日本演劇についての英語論文も発表のためシコシコ準備中です。あ、あと今学期からロンドンの演劇学生たちを教えはじめます。これまた、なかなかのチャレンジです。

とはいえ、これは年賀状にも書いたことですが、私の場合、大学の図書館に籠って過去の知識と格闘するという思索行為だけでは、どうしても幸福欲求度が半分しか充たされない。欲張りな話ですが、残りの半分を充たすためには、その獲得した知をいかに都市社会に連結させて武器として使うか、という実践に出たくなる。だからインプットと同じぐらい、アウトプットもしていきたい。それも日本と海外、双方に。そうして自分が芸術に対して近頃いっそう強く感じる「日常を拡張してくれる可能性」を、より多くの人々とシェアしていきたい。演劇研究者は研究者らしく、ジャーナリストはジャーナリストらしく、なんていう既存のフォーマットに当てはまることはさほど重要じゃないと思う。要は、未来を見据えて、過去の型に縛られず、自分がいちばん社会に貢献できる方法を探ればいいのではないでしょうか。

本年も何卒よろしくお願いします。日本滞在中は数えきれないほど多くの方々に自分が支えられていることが実感できて、本当に感謝の毎日でした。私は明々後日、ロンドンに発ちます。さあ、また独りの闘いのはじまりです。

 

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【BLOG】2020年の「芸術の自由」

「いまの空気は、戦争前の空気に近い」と述べられるご年配の方々が大勢います。好きなことを自由に表現することが許されない、なんとなく汲々とした危険な空気が世の中に充満している、と。私は戦争世代ではないし、果たして実際のところ、時代の異なる二点で似かよった空気が流れているのか、正直、肌感覚ではわかりません。けれど空気云々以前に、特定秘密保護法案が制定され、日本版NSC設置法案が成立し、さらに来年1月には戦時中の情報局をほうふつとさせる 言論統制機関「内閣情報局」の設置が予定されている、というファクトを羅列してみると「これは普通じゃない」という察しぐらいはさすがにつきます。多少なりとも文筆活動に携わる身として、また遠巻きながら芸術活動に関与する人間として、今後の日本の表現活動全般は「どうなってしまうのか?」という危機感がつのってくる。芸術の、表現の自由は、日本では2020年に向けてどうなっていくのだろう。

少し調べてみたところ、 欧州連合加盟国28国のうち17の国々では、国民の基本的人権として芸術の自由が憲法で保障されています。例えば、オーストリアでは基本的市民権で「Freedom of the Arts(芸術の自由)」が基本権保護領域として挙げられています。またドイツ基本法5条3項では「The arts and science, research, and teaching shall be free(芸術、科学、研究、教育は自由であるべき)」と明記され、芸術と学問の自由が護られています。意外にも、フランス共和国憲法にはこの「芸術の自由」が記されていません。「教育、専門訓練、文化を利用する、子供と大人の対等な権利」という一文があるのみです。では日本ではどうか?

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【BLOG】リミニ・プロトコルの「顔のある統計学」

以前のブログ投稿に書いたレバノン出身作家 ラビア・ムルエにつづき、今回は リミニ・プロトコル紹介をします。とはいえ来週東京で『 100%トーキョー』を上演する彼らのことは、とっくに良く知っている人も多いはず。彼らはいわばドイツの「ドキュメンタリー演劇」シーンの代名詞的存在とみなされる人たちで、コアメンバーはシュテファン・ケーギ、ヘルガルド・ハウグ、ダニエル・ヴェッツェルの3人。彼らの作品は日本でも、何作か紹介されています。

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鉄道模型マニアの老人たちが、自国スイスの歴史とそこで生きる自分たちの人生を物語っていく『 ムネモパーク』(2008年来日)。マルクス研究者たちが昨今の貨幣や労働価値の破綻を実人生にあてはめて痛快に説いていく『 資本論』(2009年来日)。観客がまるで貨物のようにトラックの荷台に積まれて、東京近郊の消費物流ルートを見てまわる『 Cargo Tokyo-Yokohama』(同年来日)。またゼロ歳でドイツ人夫婦に養子にとられた韓国人女性の複雑なアイデンティティ問題を本人の語りにより淡々と紡いでいく『 ブラックタイ』(2011年来日)などです。これら一連の作品には、共通点がいくつかみられます。それは職業俳優が登場しないこと、ミメーシス的な演技を要する役柄が存在しないこと、そして単線的な筋行動としての戯曲が存在しないことです。つまりリミニ作品では、この世界に無数にちらばる現実の小さな物語に焦点があてられ、その物語の創造者であり実践者である当事者たちが括弧つきの「パフォーマンス」をしていくわけです。

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【BLOG】内戦と表象とラビア・ムルエ

11月9日にフェスティバル/トーキョーのオープニング・イベントの一貫として、本年度のプログラムの見どころについて、鴻英良さん(演劇評論家)、藤原ちからさん(編集者)、鈴木理映子さん(演劇ライター)という頼もしいお三方の胸を借りて、およそ3時間に及ぶ解説トークを行わせてもらいました。私は、おもに海外演目担当。ラビア・ムルエ、ティム・エッチェルズ、リミニ・プロトコルらの各演目についてかなり自由に紹介させてもらいました。

会場に入りきらないほどお客さんが来て下さって大変嬉しかったのですが、もしかすると当日会場に来られなかった方もいるかもしれない。そんな方のために、このブログに私の担当作家の解説を事後掲載しておきます。もちろん予備知識なく劇場にフレッシュに足を運びたいという方は読まないほうがいい。でも海外の現代作家作品に臨むときには、ある程度、現地のコンテクストを知ったうえで見るのもまた味わい深いものです。何かの参考になれば嬉しいです。

さて、今日はレバノン出身の劇作家・演出家・俳優・ビジュアルアーティストの ラビア・ムルエ(b. 1967〜)について書きます。

今年のF/Tでは彼の最近の3作品が連続上演されます。『 雲に乗って』(2011)、『 33rpmと数秒間』(2012)、そして映像作品である『 ピクセル化された革命』(2012)です。なお「ベイルート・ポスト内戦第一世代」代表格とみなされるムルエ作品の背後には、これら3作品に限らず、つねにレバノン内戦の影が見てとれます。彼が8歳のときの1975年に勃発し、15年続いた内戦を直接的/間接的テーマに取るのです。そこで少し文脈として、日本人には事情がわかりづらいこの長く苦しい内戦について説明しようと思います。

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レバノン内戦というのは、少し調べたところ、フランスがそうとう悪巧みに関与しているようです。つまり第一次世界大戦後にフランスが、この地域で多数派のイスラム教徒に中東を支配させないために、レバノンに約30%いるマロン派キリスト教徒に建国させ、西側諸国とつながりを持つ政府による国を作ったことが起因となっている。それでマイノリティなのに支配階級のマロン派キリスト教徒と、マジョリティで被支配階級なアラブ人たちが対立し、そこに様々な諸要因も加わり、内戦が長引いた。レバノンには十八の宗派が共存していて、宗派ごとに法律が違うそうで(国に統一された法律はなく、宗派ごとに異なる法律が定められている)それで日常茶飯事のように対立が起きる。あと南に位置するイスラエルとヒズボラの対立や、もともとレバノンは自国の一部だったのに「フランスの陰謀で分断された」と信じている北東のシリアとの軋轢とか、まあ、いろいろ政情が不安定な土地なわけです。

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