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【Article】アジア的な受容性を肯定する:「憑依」するフィジカルな批評

viewpoint79

公益財団法人セゾン文化財団が年4回発刊しているニュースレター『viewpoint』の79号・特集「舞台芸術の新しい批評の場」に寄稿させていただきました。

以下ウェブサイトから全文読むことが可能です。

>>> viewpoint vol.79 http://www.saison.or.jp/viewpoint/pdf/17-09/viewpoint79_iwaki.pdf

 

 

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【Essay】ポスト・ヒューマン演劇の旗手:松井周論

photo: 青木司

松井周をロジカルに語ることじたい、松井的でない。なぜならそもそも彼自身が、論理の一貫性・主体の不変性・思考の自律性といった、いわゆるルネッサンスと共に生まれた西洋ヒューマニズムの基本思想に疑念を抱いているから。ドイツ人がゲーテを読んで育むような精神の修養を、彼はすべからく「からかう」のだ。からかっているだけで否定はしていない、という要点がここでは大事なのだが。「文化の宗主国」といえる西欧の人間は、そのあたりのサジ加減がわからない場合が多く。松井作品はときに誤解を招く。

例えば、英国のとある演劇学者は私の書いた松井評に触れ、「これは嘆かわしい、人類の劣化だ」と叫んだ。あまりに有無を言わさぬその口調に、私はそのとき松井作品の良さをぞんぶんに弁護できなかった。そのときの悔しさをバネに、松井の特異な才能をこの機会にきちんと文章化しておきたい。

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【Essay】Matsui Shū: The Innovator of Japanese Post-Human Theatre

A logical explanation of Shū Matui is already an oxymoron. This is because, Matsui has always been doubtful of those concepts such as coherent reason, single subjectivity and autonomous criticality: the basic principles of western humanism. He was always sarcastic about those humanistic ideals, which, for instance, Germans might lean through perusing the pages of Goethe. What is important to note, however, is that he is only dubious about humanism, and not altogether rejecting it. Yet, when his plays are observed through the culturally hegemonic ideals of the west, they are often mistaken, or even denounced, as anti-humanistic as he often questions the usefulness of those ideals, such as human rationality, which, I guess, should never be questioned.

For example, when one British theatre scholar learnt about Matsui’s works through my description, she instantly decried that ‘it is a horrible degradation of humanity.’ Since the comment was so decisive, regretfully, I was not able to defend Matsui’s plays against her claim. Taking that remorse as a springboard, I would like to use this opportunity to provide some counterargument on those often hasty and groundless reactions towards Matsui. Read more

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【Article】真実という名の禁忌を暴く「魂のポルノグラフィー」:アンジェリカ・リデル インタビュー

撮影:石川純

撮影:石川純

演出家・俳優・詩人のアンジェリカ・リデルは「真理の受難者」だ。偽善と体裁が猛威をふるう、見てくればかりの現代社会で、官能と精神という眼にみえないなにかを舞台に結晶化しようとしてきたがゆえに、結果、因襲からはずれた異端者として現代社会から排斥されてきた。それゆえ、母国スペインの少なくないフェスティバルは、リデル作品の上演を控えてきた。93年に設立されたアトラ・ビリス・テアトロ(ラテン語でアトラ・ビリスは暗い感情の意)の転機は2010年に訪れる。アヴィニヨン演劇祭で『El ano de Ricardo(リチャードの年)』と『La Casa de la fuerza(力の家)』を上演し、フランスの知識人たちに衝撃を与えてから、おもにアンダーグラウンドで評価されていたリデルの活動領域は一気に世界へと広がったのだ。

「憤怒のスペイン人」(ルモンド紙)「観客を恐怖に陥れる」(リベラシオン紙)と、フランス各紙はこのカタルーニャ出身の演出家の登場をセンセーショナルに煽った。だがリデル本人は、なにも「センセーショナルなこと、前衛的なこと」をするつもりはない、とじつに淡々としている。「中世の典礼劇や神秘劇」に影響を受けているという彼女は、新しいものよりもむしろ古いものに惹かれ、例えば、ニーチェ、バフチン、バタイユ、アルトーなどを引用しつつ、まるでベッリーニの宗教画のように戦慄的な美しさを誇る「残酷な美学(Aesthetico Brutal)」の画布を舞台上に描きあげていく。
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【Article】バタクラン劇場の悲劇:違和感のあるドラマツルギー

Photo:AFP

Photo:AFP

バタクラン劇場があるパリ11 区には、政治的要人や資産家はほぼいない。この地で暮らすのは近所のカフェで友人と語らうことを愉しみ、芸術をつつましい生活の同伴者として慈しみ、市民として共同体意識を深められる劇場に通う、ごく普通の人びとだ。移民が多い。芸術家も多い。わたしの友人知人の多くもこのエリアに住む。だからあのコンサート・ホールでの襲撃事件をかまびすしく喧伝するCNNニュースで知ったとき、なにか得体の知れない違和感に襲われた。

9.11 は「まるで映画のよう」と称された。だが今回の事件の違和感は、単なるバーチャルとリアルの反転よりも複雑だ。そもそも借景がアメリカではないし、ましてやテロを象徴する決定的映像が、当初は流れてこなかった。事件映像として報道されたのは、静まりかえった夜のパリに浮かぶ、サイレンとライトと機動隊の物騒さ。なんだかむりやり画像編集し、そこに恐怖を煽るナレーションを加えることで、ハリウッド映画的な事件を生成しようとしているようにさえ思えた。しかも事件当日、バタクラン劇場で演奏していたのは、カリフォルニア出身のメタルロックバンドだったというのだ。

9.11 のように「あの絵」がニューヨークの青空に似合わないのではない。絵はそもそもこの事件から不在だ。あるのは巧みに演出されたテロのドラマツルギー。そしてこの「ドラマツルギー」が地に足のついたパリの街並みにそぐわないのだ。不謹慎なことを承知でヴィンセント・ミネリ監督の映画にかこつけて言うなら、まるでこれは『An American Drama inParis(巴里のアメリカドラマ)』じゃないかと思ってしまった。

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