K.Iwaki

【Books】<現代演劇>のレッスン:拡がる場、越える表現

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編集:鈴木理映子+フィルムアート社 発売日:2016年6月13日

【執筆陣】
平田オリザ(劇作家・演出家)、相馬千秋(アートプロデューサー)、藤井慎太郎(演劇学、文化政策学)、岩城京子(演劇ジャーナリスト)、森山直人(演劇批評家)、大堀久美子(編集者、ライター)、藤原ちから(批評家、編集者)、島貫泰介(ライター、編集者)、さやわか(ライター、物語評論家)、林立騎(翻訳者、演劇研究者)、片山正夫(公益財団法人セゾン文化財団)、田嶋結菜(劇団「地点」)、松井憲太郎(富士見市民文化会館 キラリふじみ)、三好佐智子(プロデューサー)、長島確(ドラマトゥルク、翻訳者)

【分担執筆箇所】

『「社会」に応答する日本の現代演劇史』と題した、論考を寄稿させていただきました。主に八〇年代からテン年代にいたる小劇場シーンの流れを、自分なりのフレームで解釈する論考になっています。キーポイントを、以下引用します。

「日本社会は3.11によって劇的には変わらなかったかもしれない。けれど、想像力の断層線にはなりました。震災以前をゼロ年代の想像力としてくくるなら、震災以後、勢いを増したのがテン年代演劇の作家たちです。二つの世代の作家たちは、外見的には似ているようで、大きく異なる時代精神を反映しています。ゼロ年代の作家たちは、了承可能性の敗北の先にある「ディスコミュニケーション」を描き、「未来への不安」を語り、「ディストピアとしての終わりなき日常」を俎上にあげました。テン年代の作家たちは、了承不可能性という前提を折り込み済みの「独話」を描き、「過去をノスタルジックに」美化し、「ささやかなユートピアとしての日常」を反芻していきます。もっとわかりやすく差異化するなら、ゼロ年代の作家たちは「戦後の想像力」を、テン年代の作家たちは「戦前の想像力」を基本オペレーション・システムとして使用しています。つまり前者にとっての「日常」は平々凡々といつまでもつづくはずの半永久的な物語であり、後者にとっての「日常」は、近い将来に喪失することを前提にした刹那的な幸せなのです。」

冒頭の2ページも、以下ウェブサイトにあるPDFで読めます。>>>http://filmart.co.jp/books/theater/gendai-engeki/

 

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【Interview】自らの最悪の「糞」を身体化する、アンジェリカ・リデルの叫び

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Cinra.netに、スペインの演出家アンジェリカ・リデルさんへのインタビューを執筆させて頂きました。以下、リンクから記事を読むことができます。

>>> https://www.cinra.net/interview/201509-angelicaliddell

 

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【NEWS】Scene / Asia プロジェクト始動

さる 9月 8日、韓国最大級の文化施設として国内外から注目される「韓国・光州アジア芸術殿堂」が韓国光州市にオープンいたしました。Scene / Asia(シーン・アジア)の設立イベントとしてメンバーが一堂に介し、2015/2016年度のプロジェクト内容を発表いたしました。美術、演劇、社会学、といった複数領域にまたがるプロジェクトとして企画を発展させていきたいと考えています。

Scene / Asia とは、アジアにおける観客空間を活性化するべく立ち上げられたツール&プラットフォームです。アジアにおける芸術批評は、批判と同義語として受け取られ、ほぼネガティブな印象しか持ち得ていません。生産的な思考・批評空間をアジアに根付かせるためには、その前提条件として、クリティカルな視点で芸術を楽しみたい観客を発掘・育成する必要があります。そのような思索的観客空間を、アジア諸都市で活性化すべく立ち上げられたのが Scene / Asiaです。

Scene / Asiaでは、パフォーミング・アートとパフォーマンス・アートという、身体を用いた時間芸術にフォーカスします。アジア隣国間で身体芸術について語る際の共通言語が「西洋基準」という状況をすこしずつでも改善すべく、本企画ではアジアにおける「シーン」の理解を二重の意味で深めていきます。二重の意味 でのシーンとはつまり「社会状況としてのシーン」と「舞台場面としてのシーン」のことです。各地域での芸術表現を下支えする「社会」と「作品」をともに理解していきます。

Scene / Asiaは、5つの地域による国際共同プロジェクトです。現時点での参加地域は、中国、韓国、シンガポール、台湾、日本になります。これら5地域の「シーン」に根ざした複数のキュレーターが、年間共通テーマに沿ってリサーチ&キュレーションを行い、その過程や成果を、第一に4言語展開のウェブサイトで、第二に観客との共同イベントを介してアクティブに共有します。


【Scene / Asia 2015/2016年度キュレーショントピック】

変容する舞台:民主主義を翻案する

近年、アジア各国で民主主義を希求する運動がさまざまなかたちで浮上しています。オンラインとオフラインの二重生活を送る若者たちは、インターネットで見聞する西洋型民主主義が、フィジカルな日常で体現されていないことに不安と憤りを抱きはじめています。しかし、そもそも西洋近代からの輸入思想である「立憲民主主義」は、そっくりそのまま現代アジアに適合するのでしょうか。開かれた公共空間、個人と社会の共存、表現の自由といった概念が、身体ではなく頭脳のみで了解され、存分な議論がなされることもなく、「あやふやな民主主義」がインフレを起こしています。無条件に獲得すべきものとしてうやまわれている理想概念は、果たして本当にそのまま2015 年のアジアで機能するのでしょうか。「民主主義こそが理想である」という拙速な結論に待ったをかける議論をアジアのパートナーと展開し、そうした議論を促すアジア各国の芸術作品と社会理論を紹介していきます。


【Scene / Asia4つの柱】

1)アニュアル・キュレーション:年間テーマに即したパフォーミング/パフォーマンス・アートのオンライン・キュレーションを展開
2)アニュアル・シンポジウム:キュレーター、リサーチャー、観客が一同に会して、相互に思考を深めるシンポジウムを開催
3)リサーチ・プラットフォーム:アジア各地で展開するリサーチの公開アーカイブ作成
4)オーディエンス・イベント:キュレーターと観客が共に参加するアジア観劇ツアーやイベントを開催(2017年より実施予定)


【キュレトリアル・チーム】

チーフディレクター: 岩城京子(日本)
ゴン・ジョジュン、ファンツゥ・ツー(台湾)
キム・ヘージュ、ソ・ヒョンソク(韓国)
ジェイソン・ウィー(シンガポール)
ルイジュン・シェン(中国)
大舘奈津子、鈴木理映子、ウィリアム・アンドリューズ、相馬千秋(日本)

主催:特定非営利活動法人芸術公社
助成:国際交流基金アジアセンター、公益財団法人セゾン文化財団
公式 HP :

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【ARTICLE】国家神話や資本主義に抵抗するパフォーマンス・アート

演劇などの舞台芸術は、英語ではパフォーミング・アート。意訳するなら「演技する芸術」となる。ひるがえって、一九二〇年代の未来派やダダイズムの表現領域から勃発したパフォーマンス・アートは「実演する芸術」とでも訳せる。前者は演劇、後者は美術の分野から発達した表現であり、さらにいえば前者はおおむね非日常空間を構築することを目的とし、後者は日常空間に亀裂を入れることを目標に据える。

おもしろいのは、近年、このパフォーミング・アートとパフォーマンス・アートの領域が、欧州で再び接近していることだ。理由はいくつか考えうる。第一は、物質的な事情。二〇〇八年の「グレート・リセッション(大恐慌ならぬ大不況)」前後から、ほとんどの劇場や演劇祭では、大人数の俳優や大型舞台美術を要する作品をたやすくは制作できなくなってしまった。そのため資材費、人件費、運搬費が安あがりにすむ、身ひとつで作品提供できるパフォーマンス・アートがもてはやされるようになっていった。

第二には、第一の事情から派生する経済的な理由。一九六〇年代のシチュアショニストたちが資本主義社会における大量消費を「スペクタクル」とみなして批判したのと同様に、二〇一〇年代の作家たちは、一パーセントの勝ち組のために世界がまわる超資本主義社会を糾弾しはじめた。結果、ティノ・シーガルのように、絵画でも、彫刻でもなく、「構築されたシチュエーション(状況)」を批評的に作品化する芸術家がヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を獲得したりもした。もちろん、彼が美術マーケットが誇る最高権威からの賞を拒まず、遠慮なく受け取ったことを批判する声も同時にあがった。

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【ARTICLE】欧米デジタルパフォーマンス・フェスティバルの現在

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日々の少なくない時間をバーチャル空間で過ごすようになった今、主に欧米圏で「デジタル・パフォーマンス」と呼ばれる、舞台芸術とメディア・アートの中間地点に位置づけられるような作品が数多く発表されている。デジタルとリアルが共存する地平で日常生活が送られるようなった今こそ、その二重現実に応答するような芸術作品が作られるべき。そんな時代性に即したミッションを探究する、海外のフェスティバルを紹介したい。


いわゆる「デジタル・パフォーマンス」の潮流は九〇年代頃から始まっていた。例えば、振付家マース・カニングハムは『 Biped』でダンサーの身体にデジタルセンターを装着してアバターを構築し、スクリーンに投影してみせた。演出家ロベール・ルパージュは、デジタル生成したケベックやパリの街並みで役者たちを包囲した。パフォーマンス・アーティストの ステラークは、身体を無数のケーブルに接続し、インターネットの向こう側にいる観客が、自分の身体を好き勝手にリモート・コントロールできるようにした。そもそも舞台芸術は、音楽、美術、彫刻、映画、などほかの芸術表現を惜しみなく抱擁するかたちで豊かな仮想現実をたちあがらせてきたが、この頃から、加速度的にデジタル化されていく日常環境に応答するかたちで、多くの芸術家がテクノロジーに下支えされた作品を生み出していくようになったのだ。

こうしたデジタル・パフォーマンスを個人的に体験しはじめたのは、遅ればせながら2000年代後半頃から。広く欧州圏で舞台芸術を視察してまわるようになってから、メディア・アートとパフォーミング・アートの中間に位置づけられるようなフェスティバルや劇場の存在に自覚的になっていった。とりわけフランス北東部モブージュ市で開催されるフェスティバルVIA(主催:ル・マネージュ国立舞台)と、パリ郊外のクレテイユ市で催されるフェスティバルEXIT(主催:メゾン・デザール・クレテイユ)を訪れた経験は大きかった。

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